<日程と行程>
日時:2010 年6 月12 日 土曜日
ルート:京急金沢文庫→能見台→関谷奥見晴台→天園峠茶屋→大平山→覚園寺→鎌倉宮→島津忠久墓→源頼朝墓
→鶴岡八幡宮→JR 鎌倉駅

参加人数 9名
行程全長 約13㎞


 根なし草 -P1000278.jpg
梅雨前の晴天の空の下、マイナスイオンたっぷりに森林浴をする元高校生



源頼朝の墓へ墓参
 根なし草 -P1000282.jpg  根なし草 -P1000284.jpg  根なし草 -P1000283.jpg  根なし草 -P1000285.jpg
                              右上矢印こんなところに“まるに十の字”が



島津忠久公

源頼朝落胤説(みなもとのよりともらくいんせつ)

解説

 島津忠久には以下のような誕生伝説が伝えられている。丹後局が頼朝の寵愛(ちょうあい)を受けて子供を身ごもるも、これを知った頼朝の正室北条政子に妬 まれたため鎌倉を逃れた。摂津国(現、大阪府)住吉大社までたどり着き、雨の降る夜に狐火に照らされて忠久を産んだ。現在、住吉大社 の境内には忠久誕生石が存在し、島津家における稲荷信仰雨を瑞兆 とする慣わしはこの故事に由来するものである。
その後、元旦参拝のため住吉大社を訪れた摂政(せっしょう)近衛基通(このえもとみち) に救われ、丹後局はその家来の惟宗広言(ひろこと) のもとに嫁ぐことになった。このため忠久も惟宗を名乗ることになった。頼朝は誕生の知らせを受け「三郎」の名を与える。元暦2(1185)年に頼朝と初めて対面し、頼朝の家臣畠山重忠(しげただ) の一字を得て「忠久」と名乗る事になったという。
 この伝説を背景として、八景釜血吸 が島津家に代々伝えられてきた。また、十字紋 も頼朝から授かったものという説もある。





鎌倉宮
 根なし草 -P1000281.jpg



鶴岡八幡宮の大いちょう(元気に芽吹いています)←拡大してご覧下さいクリック
 根なし草 -P1000288.jpg