<日程と行程>
日時:2010 年6 月12 日 土曜日
ルート:京急金沢文庫→能見台→関谷奥見晴台→天園峠茶屋→大平山→覚園寺→鎌倉宮→島津忠久墓→源頼朝墓
→鶴岡八幡宮→JR 鎌倉駅
参加人数 9名
行程全長 約13㎞
梅雨前の晴天の空の下、マイナスイオンたっぷりに森林浴をする元高校生
源頼朝の墓へ墓参
こんなところに“まるに十の字”が島津忠久公
源頼朝落胤説(みなもとのよりともらくいんせつ)
島津忠久には以下のような誕生伝説が伝えられている。丹後局が頼朝の寵愛(ちょうあい)を受けて子供を身ごもるも、これを知った頼朝の正室北条政子に妬
まれたため鎌倉を逃れた。摂津国(現、大阪府)住吉大社までたどり着き、雨の降る夜に狐火に照らされて忠久を産んだ。現在、住吉大社
の境内には忠久誕生石が存在し、島津家における稲荷信仰
や雨を瑞兆
とする慣わしはこの故事に由来するものである。
その後、元旦参拝のため住吉大社を訪れた摂政(せっしょう)近衛基通(このえもとみち)
に救われ、丹後局はその家来の惟宗広言(ひろこと)
のもとに嫁ぐことになった。このため忠久も惟宗を名乗ることになった。頼朝は誕生の知らせを受け「三郎」の名を与える。元暦2(1185)年に頼朝と初めて対面し、頼朝の家臣畠山重忠(しげただ)
の一字を得て「忠久」と名乗る事になったという。
この伝説を背景として、八景釜
や血吸
が島津家に代々伝えられてきた。また、十字紋
も頼朝から授かったものという説もある。
鎌倉宮
鶴岡八幡宮の大いちょう(元気に芽吹いています)←拡大してご覧下さいクリック



