神様ありがとう…という作品【さよならソルシェ】 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

今日は次男のオタクショップツアーに同行したのですが、コミック売り場で出会いました。


1409229047754.jpg



初めて知った漫画家さんです。
名前を見ることも初めて。

全然見る気なく素通りしようとした場所でしたが、視界の隅を「二人のゴッホ」という文字がかすめたので、足を止め。
各巻の見本誌が置かれていたので、パラパラめくってみました。

ほんの数ページ見て、買うことに。



帰宅してからじっくり読みました。
そうくるか…ってなもんです。

むろん、これはフィクション。
だからこそ許される、夢の世界…とも、言える。
だからこそ、ある意味「少女漫画的ファンタジー」色に染め直されたこの「異世界のゴッホ兄弟」の物語は、一瞬だけでも「ホントにこうならよかったな」とさえ、思わせてくれました。

アマゾンレビューは酷評されてますけどね(笑)
まあ…フィンセントという人があまりにも印象強いので、ここまで変えちゃうと「おいおい」ってなっちゃうのはわかるんだけど。

酷評している方達が求めているものは、この作品には、無い。
それだけのことだな。

あと、ここに描かれている「画家の心境」ってものを垣間見たことがあるかどうか…っていうことでも、いささか票が別れるようにも思います。

まあ、もっと掘り下げてもいいなって思うところはあるけれども。
ここ止まりだからファンタジーとして楽しめる…っていうのも、あるかな。




ネタバレしたくない内容なので、詳しくは書きません。


でも、読み終わった時、「神様ありがとう」って、思いました。

よくぞ、このような作品を描く人をこの世界に送り出してくださいました。

ただ、「このマンガがすごい!2014年 1位」っていうほどなのかどうか…ってのは、ややビミョーかな。





私の心の師匠は北斎です。
でも、ゴッホも、なんかいろいろと微妙な位置づけではあるけど、その一人。

そうは言うけど…ゴッホの絵は、私には、強烈に好きな絵がほんの数点あるだけで、基本的にはそんなに好きというほどではありません。

ただ、彼の人間像…というか…

前回(2011年)名古屋にも来たゴッホ没後120年記念展のサブタイトルは、

「こうして私はゴッホになった」

でした。


「ゴッホはいかにしてゴッホになったか」ということが、私にはものすごく関心があるところ。

ゴッホ=炎の画家 というイメージなんだけど。
どうも…なんか、違う気がする。

プロデュースされた姿が、後々さらに偏っていき、一般大衆が「見たいと望む狂気の画家の姿」をどんどん作り上げていったのじゃないのか…って、思う。


フィンセントはテオに殺害された、という論旨で書かれた本もあるし。
確かにね…というほどに、テオの人生は兄一色。
兄のために生き、働き、カネを稼ぎ続けたと言っても良いような人生。
兄が逝去してから、わずか1年で自分もこの世を去っているテオ。


このコミックに描かれるような天才的な画商でもなけりゃ、こんなとんがった人でもなかったであろうテオ。

このコミックに描かれるような、ぼんぼんのほほん~としたアホみたいなピュアな人ではなかったであろう、フィンセント。


まあ。
この漫画家さんが、ゴッホの「作品を愛好」してはいないであろうと思う箇所は多々、感じた。

なんたって「これほどの絵を描く男」として兄を語る時にテオが示した作品
コレ↓ 【星月夜】

これは、私が執着というくらいに好きな絵。
これを見るために、妊娠中に大きな腹を抱えて東京まで行った。
この時他にどういう絵が展示されてたのか、全然記憶にないくらい。

でも、この絵は。

小さい

のですよ。

画像や図版だけで見ていたらわからない…想像もできないくらいの、小さなサイズでした。


このコミックの中で描かれているくらいの大きさはある…と、私も、思ってた。
けど、違ったの。
小さかった。
驚くほどに。

原画を見なかったら、このコミックに描かれている図が、すんなり入ってきただろうな。


でも。
それも。

このコミックの物語を「別の世界でのゴッホ兄弟」と思って見れば。

まあ、いいか…

って、思う。



「兄さんはずっと、俺の人生の全てだった」

劇中で呟くテオの言葉は、この地球上に居たこの世界のテオにとっても、同じだっただろう。


甘いファンタジーとしてのパラレルワールドの中でだけでも、フィンセントが平穏な心でのんびりと過ごせた人生ってのが、あってもいい。

おそらく…この作中に描かれるフィンセントと、本物の彼とは、「あいつには先天的に○○がない」と言われたものは、真逆だ。
○○…の中には、感情が入る。
この作中で「先天的に無い」とされた感情は、本物のフィンセントにとっては大変にお馴染みで、それが彼の人生を破壊したと言っても良い。

真逆なフィンセント。

人間の人生…という観点で、こういう世界があってもいいかな、って思う。



ただし。
ここに出てくるようなフィンセント・ヴァン・ゴッホであったなら、あの作品達は生まれることはなかっただろう。
残念だけど。

でも、よいフィクションだと思います。

凡庸な人間が、どのように逆立ちしたって努力したって、その高みには行けない存在。
それを我が事として感じられるかどうか…っていうことでも、この作品に対する感じ方は違ってくるだろうな。

それは読み手の勝手な補完でしかない…のだけど、そういう補完を呼び起こすのは作品の力だ…と思うし。

出会えてよかったな、と、思います。




もし…もしも。

「いや、これこそが、現実のフィンセントの真実なんだよ」

…って、そんな話になったとしたら?

それは、とても幸せな「種明かし」だな…って、思います。

その仕掛けをやってのけたテオにとっても。





さよならソルシエ 1 (フラワーコミックスアルファ)/穂積

¥463
Amazon.co.jp

さよならソルシエ 2 (フラワーコミックスアルファ)/穂積

¥463
Amazon.co.jp