自分だけわかってたらいい、大事なこと | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

あかり…照明って、いろんなものがある。

電灯一つとっても、色もカタチも様々。
そこに、シェードを加えたら、もう、組み合わせもデザインも、無限。

照明を変えるだけで、部屋の雰囲気はガラッと変わる。

リラックスできる照明は、やや照度の低い、暖かい色だそうな。


私は、どうしても和ものが好きなので、キラキラなシャンデリアよりも、和紙や竹でできたシェードが好き。

ガラスも好き。

エスニック風なのも、好き。



しかし、自分の部屋に使いたい照明は、やはり、実用一点張りの、明るい蛍光灯だ。
手元が暗くなるのはNGだし。
黄色みの強い照明は、絵の色が変わって見えるから絶対ダメ。
それこそ、できることなら手術室の無影灯みたいなものを使いたいくらい。


もっとも…ほんのたまに、そういう「全部をくまなく見せる」照明を切ってしまって、小さなフロアランプだけのところでボーッとしたいな、って思うことは、ある。

そういう時は、お風呂でキャンドルがいいね。





で。
それは、部屋の場合。

夜道を歩く時に、便利なのは、やはり、サーチライト。
出力が高いものなら、時々天空の雲を照らしてみるのも楽しいし。
星の話をする時に、対象を示すのにも使える。



なんだけど。

私が、歩く時に携帯する、という設定でイメージするとき、真っ先に思い浮かぶものは…

松明

だ。


次に、提灯(笑)
それから、カンテラ。


古い(笑)



私の住んでいる地域は、田舎で、田んぼと畑ばっかりのところも沢山ある。
地平線が見えるくらいだし(笑)

もちろん、街灯もロクにないところが多々あり。
民家はあっても、夜8時過ぎると、道路に面した部屋は薄暗い灯りが漏れる程度で、雨戸をきっちり閉めてしまう家や、そもそも道路に面した部屋を夜使ってないという家も、少なくない。
そうなると、民家の灯りも、道路を照らさない。
街灯もない。

そういう、現代の暮らしの中で、昔々の電気がない時代をリアルに体感できる機会っていうのは貴重で。

月がこんなに明るいものだったとは…っていうのは、こちらに移ってきてしみじみ実感した。
満月が中空にある時は、それだけでも足下がある程度見えるから、スゴイ。

そんな暗さの中を歩く時なら、現代の基準では「暗いなあ」という提灯や行灯の光というのが、どんなに貴重だったか…っていうのを、思い出せる。



ていうかね。
そんなの思い出して、どうすんの?…っていうのは、ちょっと、前から思ってたわけです。

そもそも、なんで、イメージすんのが、そんな古い古い時代のものばっかりなん?
別に時代劇がメッチャ好きとか、そんなわけではないんですけどもね。

ま、そのルーツというのは、あれこれ、思い当たることはあるわけですが。
そんなん、どうでもええねん。



なんでか知らんけど、私にとっては、「松明」というものが非常に重要なものなんだっていうことだけ、自分が知ってたらいいのです。

私は、とにかくやたらと書かないではいられないヤツなんで、書くけども。

誰でも、そういう、「なんでか知らんけど、コレやねん」っていうものが、あると思います。

時代がどうであろうと、文化がどうであろうと、自分にとっては「コレなの!」っていうもの。



そういうものを、大事にしてください。
意味とか、別にわからなくてもいいし、追求しなくてもいいから。

人と共有する必要もないし、理解してもらおうと思う必要もなくて。
ただ、自分にはコレなんだ…と、自分が、しっかり、わかってるっていうこと。

人を最終的に支えるものって、そういうものだ。

と、私は思う。