不思議だなあ~共感力の罠 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

2012年7月3日に書いて、保留にしていた記事です。
この時と現在とでは、また、いろいろと感じ方やモノの見方に変化がある私ですが…この記事は、当時理由があって保留にしてたのだけど、今読み返して、UPしてOKと思えたので、UPします。







他の人が感じること、考えること…というのに、いろいろ、????な感覚になることがたくさんある。

それは、私が、なかなか人の感情がわからないから…というのも、あるし。

そもそも、自分の感覚が、どうやらニッチな場所に集まっているらしい…というのも、ある。



よくわからないので、気になる。

なんか違和感があるので、気になる。

気になると、それが自分が興味があったり大事なジャンルであるほど、突っ込まずにいられない。


が、なかなか、人と面と向かってそんな話を突き詰める機会に巡り会えないので…。
こうやって、グタグタと、自分の考えていることや、感じることを、書いてみる。

感覚感性、感情で構成されている世界を、文字という、言語の中でも更に限定された中で試みよう、というのは、もう、そもそも、無理がある話。
言語に置き換え、更に文章として組み立てる…という段階で、私自身のフィルターが強力にかかることになり、また、制限だらけの世界に押し込むことになる。

なんだけど。j

それでも、試みてみないことには。
気が済まんのだな、これが。

メンドクサイと、我ながら思うけど(笑)



私の場合、ホントに許せないこと…というのは、そんなには無くて。
異論やら、対立意見を書いてるからって、もとの考えを否定してるわけではない。

人にはそれぞれの感覚感性があり、感情があり。
経験も、キャパシティも、外部要因も、あらゆることが、それぞれ固有の値なわけで。

一個人という極小単位である私が、それを否定とか、曲げようとか、そんなことは全く思ってない。





共感力の高い方、というのには、これまでにも何人か出会ってきた。

けれど、共感力が高いからって、多くの人に同調できるっていうわけでもない…ってことも、実体験で経験してきた。

そしてまた、共感力が高い、ということもまた、諸刃の剣になり得る…ということも、経験してきた。


その能力?は、本人にとっても、非常に手強い罠となることが、ある。

わかってるようで、わかってない…ということが、しばしば、起こる。
当人が、自分のことを顧みる時でさえ、そういう罠に嵌まることが、ある。

私は、物事を分解して初めて理解に達するメンドクサイ奴であるが故に、共感力の高い人が自ら陥っている罠に、気がつくことが、度々あるのだね。

けれど。
私は、そういう方に対して、どのようにそれを伝えたら、ちゃんと素早く伝わるのか…というのが、未だに、模索中。

素早く伝わる、というのは、その系統の方(すみません、便宜上、一括りで書かせていただきます)にとって重要であるってことは、経験でわかっている。
けれど、それこそが、自分の最も苦手とする部分でもあるわけで。
悩ましいところだ。



共感力で物事を把握する方は、細部をまったく顧みない方が、比較的、多いように思う。
全てではないだろうと思うので、なんか曖昧な書き方になるけど。

しかし、分解型の人間にとっては、細部の違いというものは非常に重要。

お互いの重要なポイントがあまりにも逆で食い違うから、ホントに、ややこしい。



けれど。
私は、逆な人の良さ、っていうものも、たくさん知っている。

自分のことを、非常に恐れていて、存在してはいけない悪である…と感じて生きてた時間が長い私にとって、自分と逆の要素を沢山持つ人っていうのは、しばしば、善なるもの愛の人のようなイメージとして捉えられることがある。

誰が、そのような人を、曲げようとか、変えようとか、思う?

思うわけない。
(ただし、その人の言動が「キレイゴト」で固められている場合は別。それこそ、猛然と突っ込みたくなる)



ただ。
その人自身が気づいてない…少なくとも、何かどこかで勘違いを起こしていて、噛み合ってないまま受け止めている部分がある…ということは、もう、とてももったいないことに見えてしまうわけ。

そして、往々にしてそのカ所というのは、とても細部に存在していることが多くて。

そもそも、そういう細かいことを見分しながら検証する…ということは、高共感力な方(の一部?)にとっては、非常に面倒でウザくて、ともすると腹が立ったり、ブチ切れたくなるくらいにイヤなことらしい。


でも、その細部のことを、ちょっと余裕をもって考えて検証することができたら。
そして、噛み合ってない部分を修正かけることができたら。

もっと、その優れた共感力や、人としての力を発揮できるはず。



どうやったら、それを、怒らせず、面倒がらせず、考えてくれる気持ちになってもらえるのか。

もちろん、誰にでもそんな気持ちになるわけじゃないよ。
ほとんどの場合は、スルーします。
そんなのイチイチやってるほどエネルギー余ってないもん。
自分にとっても大事な相手にしか、しませんよ。



で?
こういうことを考える…っていうのは。
相手を受け入れないってことに、なるの?

相手を変えようとしてる、ってことに、なるの?

下手な小細工…っていうことに、なるの?

また、これが「気にくわない」というものに相当する状態なの?



ああ…今は別に、やさぐれているわけではありません。
考証中なだけ。


不思議なんです。
人間ってものが。
本当に。