たくさん | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

数珠つなぎに、いろんな単語やフレーズや

舞台

貫くもの


ラジオからも、テレビからも、本からも


共通するものがたくさん、たくさん、目にとまる。

耳に入る。



本は、この土日に3冊読んでしまった。
十数年前~2年程前に読んだことがある本ではあるけど、
以前とは感想も違うし、心に残る場面も違う。

先週までに、止まりながら何日もかけて読んでいた本は、架空の世界の話ではあるが、
この二日間に読んだ本と、共通するテーマを内包している。

その前に読んでいた作品も、やはり、そう。

ずっと前から買い置きしてあった本で、買った頃と今では全く状況は違っているのに。
なぜか、「今」のテーマに合っているのだよね。
まあ、だから、「今」読みたい気分になるのだろうけど。





今は、他の人からもらう情報…何らかの考え方なり、感じ方なり…
そういうものが、あまり、ほしくない。

誰かから聞いた何かの感想、という類のものではなく、

自分がそれを読むなり、見るなり、やるなりして、感じることを感じる。
伝聞や引用ではなく。






自分が本当に大好きだと感じた人達の…
今まで45年の自分の生きてきた中で関わってきた人達の、ものの見方、感じ方、考え方。
それを自分のものとして基準にしてきたのだと思う。

自分の基準に、それらを取り込んできた…というか。



今まで過ごしてきた人生の中で染みついた考え方などが、引き戻しにかかるのも、感じる。

だが、その考え方の多くは、すでに私が「もういらない」「それをずっと続けるのはイヤ」と感じたことで。

だが、それを「捨てる」という形で切り離すのは、なんか違うな、という気がしている。
感覚など、そうそう捨てられるものじゃない。
捨てたと思い込むことはできるかも知れないけど。


なんかとりとめないけども。

こうやって、ゆっくり時間を過ごすことができるのは幸せだな~と。

感じるわけです。


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