やりたいことをやる | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。


2011年が始まってからこの5月までは、内部に籠もった動きが激しかったのです。

5月に入り、外へ向けての動きが始まりました。



実を言うと。

3月~4月のある時期までの間。

仕事として…お金に換える仕事として絵を描く、という道を辞める方がいいのじゃないか…。

という気持ちに傾きつつあった時期がありました。


お金に換えるために描くことで、不自由さが出るのでは。

…と、いう気持ちが出て来ていたのです。



たとえば、好きな時にちょこちょこっと描いたものを、人にタダであげてしまう…というようなことがしたいな、と思った時。

そういう行為は、安くない対価を払ってくださる方に対して、失礼ではないか…とかね。

まあ、他にもいくつか、思ったことはありますが。



けど。

4月中旬のある時期に、そういう気持ちは消えました。
最後のヒーリングレッスンを受けた頃かな…。
ヒーリングの師匠と、ゴハン食べて長話した頃かな…。

その時期に、いろんなことが、整理がついてきた。
ヒーリングを仕事としてやることから手を引く、という結論は、その前に出していたけれども。
そこへの意識は、その時期前後で、かなり違う。


絵についても。

タダであげちゃいたくなったら、あげちゃってもいいじゃん。
それを受け取ってくれる人がいるのなら。

と、思うようになりました。



正規の支払ってくださる方に、そのためにお渡しする絵を描く時と、
気まぐれに描いたものだったり、最初から差し上げてしまうつもりで描く時と。

同じ仕上がりであるはずがないし。
同じ仕上がりになど、するわけないし。



もうね、そういう、面倒くさいことを考えるのは、やめました。



今、新しく外へ向かっての動きが始まりつつあるから。

内側に籠もっていた時に体験してきたことが、次へのステップへのバネになっていると感じています。


私なりの、<見えない世界>との関わり方なんかもね。
前より、すっきり感じています。





墨をいじると実感するのですが。

私は、やはり、ある種の「求道者」なのかな…と思います。

賢者とか愚者とか、そんな設定でもなくて。

「賢者」「愚者」というカテゴリのどちらか…じゃなくて。

その時どういうカテゴリにいるとしても、「自分の道を求める者」で在る。


楽しむとか遊ぶとか、そういうのも、無理にすることじゃないし。
ストイックにいくのも、無理にすることじゃない。

そんなことをイチイチ決めて動くってこと自体が、もう、面倒。

どうでもいい。


やりたいことをやる。

それだけです。




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