こんにちは。

今週より通常通り復活したのでお休み中に先延ばしになっていたことをこなしています。


先日急変されたご利用者さんのご家族、

そして少し前に急変された医療的ケア児の利用者さんのお母さんとお会いするという大切な用事がありました。


サインが必要な書類があって…という事情はあるのですが、ご家族との対話も必要なことだったから…




急変され亡くなったあの方の奥さんは葬儀を終えられ少しさっぱりしたような…でもまだ色々と後悔も残って葛藤されていました。
Kさんと私に会いたいと言ってくださっていて、再度訪問させていただいた形になりました。

訪問中奥さんの知らないところでどんな会話があったのか知りたいという思いがありました。ご主人からなにかメッセージが残されていないか探されておられました。
探してみたけど何も残っていなかった…死ぬつもりなんてなかったんだ…なのに私が前の夜もう無理って言ってしまった、なんであんなことを言ってしまったんだろう…と。

私は二人でいるときに、携帯待機のことを「大変ですね」と気にかけてくださったことがあり、そのときに「この電話で何か役に立てることがあるなら嬉しいとおもっています」というやり取りがあったことと

そんな話もしていたのであのとききっと奥さんを一人ぼっちにならないように呼んでくださったのだと思っています…ありがたいです…
とお伝えしました。

泣いておられました。
ありがとう…ありがとうと。
人生100年だったらまだ50年もあるのに寂しすぎるよ…と。

旅行が趣味で定年退職したらたくさん行きたいところがあったとお聞きしていました。
ですので落ち着いたらご主人を連れてたくさん旅行に行きたいですねとお話したら、そうやって考えてるって少し明るいお顔も見ることができました。

娘さんにもお話できて
家族の思い出のアルバムを4人でワイワイ眺めて…

Kさんが「温かい素敵なご家族の中に入れてもらえて嬉しいね…大変だったけど、頑張ったよね」と振り返っておられました。
こんな経験って在宅ならではなのかなぁと思います。病院ではさすがにここまでは踏み込めないです。


もう一方、医療的ケア児のLちゃんのお母さんとのお話もいたたまれなくて…
急変の場には居合わせませんでしたが
Lちゃんわんぱくでとってもとってもかわいい子なのです。医療的ケアは必要でしたが発達は定型児と比べほんの少しゆっくりかな?程度で元気に成長していました。

入眠時、人工呼吸器が必要で
便の処置も必要な子です。

赤ちゃんの頃からいっぱい遊んできました。
おままごと、滑り台…大好きなゴミ収集車をずっと追いかけてお散歩もしました。怖いYou Tubeをみるのが好きなんだけど、怖いから私達にも見て!とジェスチャーしてくる姿がかわいくて…
たくさんのサービス提供者との関わりがある子ですが、うちのステーションでは体制不足が続き最終的にほぼ私だけがこの子の訪問を担当していました。
Lちゃんも私のことしっかり認識してくれていました。お母さんは気さくで優しい方でママ友みたいに色んな話をたくさんしました。Lちゃんのこともお姉ちゃんのこともお母さんのこともたくさん関わらせてもらい大好きです。

Lちゃんは年少さんから保育園に通いだして、4歳になり、学校へ行くこともそろそろ話し合わないとと言っていた矢先の事故でした。
夜寝ているときにカニューレが抜けてしまいそのまま呼吸停止…不幸が重なり呼吸器のアラームが鳴りませんでした。
お父さんが添い寝していて、たぶんアラームならなかったにせよ早い段階で気が付かれたのだと思います。カニューレを再挿入し心臓マッサージをして救急搬送されました。

もちろんリスクがあることは私達も理解しています。でもうちの子と同じ学校に通えるかなぁとか信じて疑わなかった…。


とくにご両親はもっとそうだったでしょう。

お母さんも油断しているつもりはなかったのに…と言われていました。
あのときなぜもうすこし早く二人の様子を見に行かなかったんだろう…
なぜ自分は呼吸器の点検を休み明けでいいかと思ってしまったんだろう…
カニューレのサイズアップを急いでいればあるいは…??

そんな後悔がどんどん湧いてきて…
お母さんかなり痩せていました。
「もう悩んであとにしようとか遠慮するのはやめようって決めたんです」と話す姿には悲壮感が漂っていました。
Lちゃんを知っている人に会うと泣いてしまう…と何度も泣いておられました。

今も事故のことを思い出してしまってご自宅に戻れない状況だとお聞きしています。Lちゃんは幸いご両親の蘇生処置が適切で一命は取り留めました。
日頃から対策をされ、練習もされてきたからこそで最善を尽くされたと思います。
現在は意思疎通がとれず覚醒状況もよく分からない状態となっています。藁にもすがる思いで低酸素脳症に関する治療をされていますが、年単位でどの程度回復するのか。回復しないかもしれないが、家でなら刺激があってよいのかもという思いもあるので連れて帰ってやりたい…でも上の子を犠牲にしてしまうかもしれない…とのことでした。

お母さんからは帰ってきたときのサービスの相談もありました。少しでも力になりたいと思っていると気持ちを伝えました。話ができてよかった、ありがとうと言ってくださいました。


家族看護という言葉があります。

その人だけを看護するのではなくご家族も一緒にケアをする、コミュニケーションをとるのはとても大切なことです。
今回のようにご利用者さんとの関わりが途絶えてしまってもご家族とやりとりすることもある。

利用者さんのお宅に入り込むからこそ関わりが密です。利用者さんとの、そしてご家族との絆も生まれます。

それと同時に私達訪問看護師は深く感情移入して引き込まれたり傷付きやすくなります。

私は人間的にまだまだ未熟です。
自分もその出来事を受け止めきれません。
急変なんてあってほしくなかったし、Lちゃんにも元気でいてほしかった。
Lちゃんはよく仕事のタブレットで自分の写真を撮ってとせがんできたのでたくさんの写真が残っています。ふとした時眺めて悲しくなってしまいます。

みなさん親戚くらいの気持ち、愛着があります。家族のケアもしながら自分も悲嘆しています。

今回のお話を2日連続ですることになったのでテーマが重すぎて私も深く落ちてしまったような感覚があります。

事務さんが「こういった関わりのあとどうやって消化していくんですか?」と話を聞いてくれ「現場じゃ言い辛いことを無関係の人に吐き出せるような場があればいいなと思っているんです、そういうカフェを開催している職場もあるから今度上司に話してみる」と考えてくれていました。

夕方看護師で集まってくれて昨日と今日のことを共有しましょーと話も聞いてもらいました。私のことをフォローしてくれる場を作ってくださったわけです。
状況を伝えて…でもそれ以上やともう私も泣いてしまうよ…堪えるのに必死です。それが顔に出てしまったようでKさんにも役職付き職員さんにもバレバレです。みんなメンタルケアのプロやもん。
「恥ずかしいからみないで〜(笑)」と茶化して終わったけど、心配してくださっておりその気持ちに嬉しく思います。

私ははけ口としてこのブログを持っています。とりとめない内容で恐縮ですが、ここで文章をまとめそれを読んでくださる人がいることに救われています。
いつもありがとうございます。

でも…自分なりに吐き出してはいるものの、なかなか割り切ることって難しくて…その思いを背負いながら前に進むほかありません。
3年前に咳喘息を発症したのもこんなふうに想いが揺れる出来事があったからです。あのときは過労も強かった。
そこから今も咳喘息は引きずっています。

自分の身を、心を、削る感覚のある仕事です。
でもやっぱり私はこの仕事がすき。
自分が誰かの役に立てている感謝の気持ちがあります。
家族さん含めての看護は元気をもらえることがたくさんあります。

だから必要なときはみなさんにもらった元気を分けて少しでも癒やしになれればいいのかなぁ。

私も落ちて、また戻って。
日々奮闘していきたいと思います