こんにちは。


前回ブログの体験後、あのときの出来事がどうしても頭から離れなかったり、身体が筋肉痛だったりと疲労感満載だった私ですが…

当日の夜間、子供が胃腸炎になり下痢嘔吐の看病をして…

ここは経験を生かして便も吐物も直接触れたり周囲への汚染最小限に食い止めることに成功(笑)復活が早く1日で復活しました。



吐きながら「むりぃ〜〜!」と泣いていた次男がやっと寝たと思ったら、深夜帯にまた別の神経難病のご家族より「呼吸がおかしい」とコール頂いたりと眠れぬ夜となりました。


息もつかないうちにどんどんくる…

これは私の限界を突破させようという神様の思し召し??



結局1時間位しか眠れず、夜勤明けくらいの体感になった私。眠いやら体力的にもメンタル的にも疲れたやらでヘロヘロ。

こーゆーときは自己申告で休息するべし…ということで出勤後にシフト調整してもらい

訪問件数減らして連携業務と弔問メインで、保育園休ませた次男の様子を見に中抜けもさせてもらいました。

こんなわがままを聞いてくれる職場でありがたいです。




弔問にお伺いしてお話をしました。



奥さん「私は生きていてほしいと言っていたからあの人は呼吸器にのると希望していたけど…。

介護にイライラする自分をみて迷惑をかけないようにって一人で逝ってしまったのかもしれない。これからの生活がとにかく不安で怖かった。それでホッとしている部分もある。

でも、生きていて欲しかった。寂しい…私のせいなんです。優しくしてあげたらよかった、もっと一緒にいたら…」

など後悔の言葉を繰り返していました。


私達もポツポツとお話ししました。

Kさんが「言おうか迷っていたけど、二人でいたときにはいつも奥さんを心配されていて、それで訪問時間を増やすことになったんですよ」と伝え

私も「辛いだろうと思いお話を聞こうとしましたが、自分のことは笑っていて、奥さんの気遣いしかなかったです」と加えました。


奥さん「あぁ…そうだったんだ。なんで急に時間が増えたんだろと思っていた。そうなんだ、この人が…なのに私は何をしてきたの…そうだったんだ…」と。

亡くなったあとにも優しさで包んであげられる素敵な方だなって思います。その分、喪失感は計り知れないものでしょう。


…後悔というのは一生懸命するほどたくさん残るように感じます。それだけ奥さんは頑張ってきたということです。

周りには十分すぎるほどに分かってるけど…。

自分が1番分からないものですよね…。


思いを発したりたくさん泣いたりしながら

時間が癒やしてくれるほかないのかなぁ。






本人さんは穏やかな楽そうなお顔でした。

昨日のことがなんだか信じられない。

助けられなかったという思いもありますが私としても、奥さんが言われるように本人さんがあのまま逝くことを受け入れていたようにも感じています。


自暴自棄とかではなく、どうなったとしても受け入れる。受容されていたのかなと。


とにかく穏やかで優しくて弱音を吐かない方でした。

まだお元気だった頃、(といっても呂律も回らなくなって聞き取りは難しくなっていましたが)二人きりになったときには妻が疲れています…といつも奥さんを気遣われていました。

ご自分のことは「眠れない日もあります…そんなときは癒やしの音楽を聴くんですよ。ジブリを。」と微笑んでおられました。


奥さんが泣いている姿をみて1度うるうるしているところは拝見しましたが…ほとんどを穏やかな様子で過ごしていました。



眠れぬ夜、あの方は何を思っていたのでしょう。

私には想像を絶する思いがあったことでしょう。




あのとき私が待機当番で急変の電話をうけ

救急車よりも早く駆けつけたこと。

奥さんを抱きしめながら救急車に乗り込んだこと。

救急車の中での体験。

元職場である病院の救急外来で病院関係者でもなく家族でもない自分が寄り添ったこと…。


こじつけかもしれませんが…


ご本人さんが自分が逝ってしまうとき、奥さんを一人ぼっちにさせないよう「よろしくお願いします」と私を頼ってくださったようにも思えてなりません。


と、いうのは奥さんのレスパイトのため二人きりでいるとき

私達の24時間待機について「大変ですね」とおっしゃってくださることがあり

「大変なこともありますが、これで誰かのお役にたてることがあるなら嬉しく思っています」という会話をしたことがありましたし

搬送先の病院に私が働いていたことをお話したことがあったから。


今回のこと職場では

towaさんばっかり当たってしまうね…なんで全部…とか

なぜか急変対応ができる人に当たるものだね

と言われています。


私は急変対応が一番苦手で病院時代にもほとんど経験がありませんでした。

だけど、辞める直前にそれをする機会があったり、訪問に来てから2度このような経験をしたことがなんだか偶然ばかりとは思えないんです。


何かを伝えられている気がする…

いったい何を求められていて

自分はどうしていくべきなのでしょうか…


私はあの方の、そして奥さんの力にほんの少しでもなることができたのでしょうか。





今回のケースに限らず難病の方たちの経過をみていると、この地域ではフォローが本当に不十分です。動けないから医療が必要だとしても受診が遠のきます。

週末は体調を崩して受診したくても行きは救急搬送できますが、帰るための介護タクシーは営業しておらず、かといって入院するかは分かりませんのでギリギリのラインまで我慢する他ないという現状です。運良く利用できたとしたらそれは介護タクシー業者さんがお休みでも特例で動いてくれその身を犠牲にしているのです。


医療を必要とする人が医療を受けられない…そんなジレンマがあります。


医療もですが、介護だって手薄です。

訪問看護ステーションも緊急時対応をしていないところが多いです。

田舎だということもあります。


でも田舎だから仕方がない?諦めるしかないのかな…本当にそうでしょうか。



夜中にお電話があった方はあの急変の少し前に呼び出し訪問に行って状態をみていました。

チェーンストークス様の呼吸が見られていたものの、SPO2は低下なく、本人の苦痛もない。おかしな呼吸もずっとは続いておらず翌日病院へ行かれる予定があったので様子を見てもらっていました。

夜間も同じような状況でしたので、朝見に行きますねとお伝えして安心してくださいました。


状態はあのあとは落ち着いていたし、疾患も違えば既に気管切開も済んでおり状況は違うのですが

この方も病状が進行してきているので中枢性の呼吸障害が出てきているとすれば、昨日の今日ですし、急変リスクがどうしても気になり病院と連携をとりました。


でもどうしても病院との距離を感じてしまって同じ患者さんをみていても繋がりが希薄に思ってしまいます。

元職員の私はなんか色々勘ぐって考えてしまって悲しくなったり躊躇してしまう。

でも私は悩みながらも発信は諦めずにしなければとは思っています…。


医師同士の連携だとまた違うのかもしれません。でもどのように繋げていけばいいのか?これまでに何度も試みてきたことですが、うまくいかないことが多いです。小さな訪問看護ステーションのただの1スタッフの私ではあまりにも非力です。


往診医がいてくださると本当に心強いので…

普段から顔が見えるようなお仕事ができるといいのかなぁ。


すぐに変わるとかは難しいと思いますが、

「難病の方はこの地域では不安の中暮らし、急変を待つほかないのでしょうか…」など職場で意見交換してそれじゃだめだね、私達も声を上げていこうという話にもなりました。

これまでの皆さんの経過が将来の医療につながる日が来てほしいなと感じています。