透析中にDVD、2020.5月 | 透析なのにこんなの食っていいんかい?!

透析なのにこんなの食っていいんかい?!

人工透析を受ける不良中年の無謀な旅行記とグルメ日記

透析中にDVD、2020.5月

~愛と追憶の日々、ドクトル・ジバゴ(再)、ミッシング、インドへの道、シェーン(再)、ムトゥ踊るマハラジャ、タイガー伝説のスパイ、バーフバリ王の凱旋、トゥルーマンショー、キリングフィールド

 

5/1(金)

№183

愛と追憶の日々

原題:Terms of Endearment(愛情の期間)

監督:ジェームズ・М・ブラックス

原作:ラリー・マクマートリー

音楽:マイケル・ゴア

キャスト

シャーリー・マクレーン(オーロラ・グリーンウエイ)

デブラ・ウインガー(エマ・グリーンウエイ

ジャック・ニコルソン(ギャレット・ブリードラブ)

1983年、パラマウント、132分

 

母子家庭で育てた一人娘とその母親との

長期間の愛情を描いた。

男には面白さがよくわからなかった。

女癖の悪い、元宇宙飛行士ジャック・ニコルソンは

よかった。

1984年アカデミー作品賞だが、

その価値がわからない一作。

 

5/3(日)

番外編(再2019.06、5/3NHK-BS)

ドクトル・ジバゴ

2019年6月に見たが

このほどNHK-BSで放映された。

おりしも「ステイ・ホーム」と言われる中で

ちょうど激しい下痢が治りかけていた時期だったので

これ幸いと4時間余り集中してみることができた。

▼前回2019.6月の鑑賞記録は

https://ameblo.jp/kawata6485067/entry-12523690919.html?frm=theme

 

今回は二つのことに注目したい。

1、一つ目は、この映画に果たすコマロフスキーの役割について。

コマロフスキーは、ユーリ(ドクトル・ジバゴ)の父の遺産をかすめ取った(らしい)とされ、

また、一方で17歳のラーラを強姦する、ゲス弁護士である。

激怒したラーラに銃撃されるも軽傷で済み、

その手当てにあたったユーリと複雑な関係が始まっていく。

物語の後半では、法務大臣となったコマロフスキーがベリキノで暮らす二人を訪ね、

危機が迫っていることを告げて、

ラーラとユーリに逃げ道を用意する。

 

私が注目したのは二つの場面だ。

一つは、

若い政治活動家だった、ラーラの恋人パーシャ(ストレイニコフ)に対して言った言葉。

詳細は思い出せないが、

「人間には二種類あって、一つは理想に燃えながらも生きていない者。

もう一つは、理想と現実に挟まれながら生きている者。君は前者だ。」

という主旨の言葉だ。

(この辺の言い回しはとても重要だが、思い出せないので

自分の解釈が当たっているか原作にあたってみよう)

もう一つは

コマロフスキーがラーラを伴って逃げる場面だ。

そりに乗れないのでユーリは一人で後を追うことになったが、

あえて彼らの後を追うことはなかった。

これこそが前半で、コマロフスキーが言った

二つのタイプの前者を選んだユーリの選択だったのだろう。

そして実はパーシャも、活動家だった時には

「あなたの詩が好きだ。」

と語っていた。

 

2、二つ目はロシア革命の複雑さだ。

第一次大戦とロシア革命が映画で扱われるが、

よく知らないと戸惑う。

1、1914年、第一次世界大戦勃発。

  ユーリは軍医として従軍し、そこでラーラと再会する。

  第一次大戦は 

  ドイツ=オーストリア帝国軍と、ロシア、英・仏・米・日などの連合軍の戦い。

2、1917年、ロシア革命。

  ユーリが帰郷すると自宅は共有化され、財産もはく奪されようとしていた。

  ロシア革命は2月革命と10月革命がある。どちらも1917年。

  特に社会主義国家誕生に重きを置く場合には10月革命が主とされる。

3、二月革命では、メンシェビキ(少数派)が優勢で、ロマノフ朝が崩壊した。

4、だがメンシェビキは組織が弱く、

レーニンが率いるボリシェビキ主導の十月革命が起こった。

ボリシェビキは弾圧を行い、ロシア型の運動論、組織論を展開していく。

映画では

メンシェビキ、ボリシェビキ、白衛軍、などが登場する。

白衛軍は反革命軍である。

レーニンの死後、スターリンに受け継がれ、

フルシチョフからブレジネフに受け継がれることになる。

その後の言論弾圧は

東ドイツ、チェコスロバキアなどに及び、

春江一也「プラハの春」を思い起こさせた。

なお、

ブレジネフ以降は

アンドロポフ、チェルネンコ、ミハイル・ゴルバチョフへとつながっていく。

あーあ、

高校生の時、世界史勉強しとけばよかったなー。

50も半ばを過ぎて最近つくづく思う。

追いやすく学成り難し。

 

 

5/4(月)

№184

ミッシング

 

 

5/6(水)

番外編(再2019.02)

シェーン

ビクターヤング

アラン・ラッド

 

5/13(水)

№185

インドへの道

原題:A Passage to India

監督:デヴィッド・リーン

※旅情、戦場にかける橋、ドクトル・ジバコ、アラビアのロレンス

原作:E.M.フォースター

音楽:モーリス・ジャール

キャスト

ジュディ・デイビス(アデラ・ケステッド)

ナイジェル・ヘイバース(婚約者のロニー)

ペギー・アシュクロフト(ロニーの母・ムーア夫人)

ヴィクター・バナルジー(医師・アジズ)

アレック・ギネス(哲学者ゴッドボール)

※アラビアのロレンス(ファイサル王子)、スターウォーズ・エピソードⅣ(オビ=ワン・ケノービ)

1984年、コロンビア、163分

 

インドで判事を務める男の婚約者(アデラ)と、

判事の母親(ムーア夫人)がイギリス統治下のインドを

見物する話。インド独立前(1947)だから、70年以上前の話だ。

私は30年前にインドに行ったが、むしろその時より整備され、きれいだ。

たぶん、イギリス人たちは区切られた清潔な一角に閉じこもっていたのだろう。

イギリス人たちのおごりが鼻につく映画である。

 

アデラはインド人医師のアジズに洞窟を案内されるが、

そこで医師から強姦されたと告訴し、

インド人らの反英感情が高まる。

裁判でアデラは告訴を取り下げ、

数年後みなの誤解が解かれる。

デヴィッド・リーン監督とモーリス・ジャールの音楽に期待したが

いずれも期待外れだった。

 

5/15(金)

№186

ムトゥ踊るマハラジャ

原題:Muthu

監督:K.S.ラヴィクマール

原案:プリアダルジャン

音楽:A.R.ラフマーン

キャスト

ラジニカーント(ムトゥ)

ミーナ(ランガナーヤキ)

1995年、インド、166分

大地主の使用人ムトゥと、

劇団の看板女優との恋愛物語。

ムトゥは、実は元の大地主で、今は聖人と慕われる人の跡継ぎだった、

というハッピーエンド。

インド映画は幸せになる。

悪役はどこまでも悪役でありわかりやすい。

最後は悪が滅び、みんなが幸せになる。

これまで

「きっとうまくいく」「ロボット」をみてきたが

ほかに「タイガー」という名作もあるらしい。

聖人の言葉

「いつ、どのように私が来るのかは知らないが、時が来れば私はやって来る」

 

5/20(水)

№187

タイガー、伝説のスパイ

原題:Ek Tha Tiger

監督:カビール・カーン

原案:アディティア・チョープラー

音楽:ソーヘル・セン他

キャスト

サルマン・カーン(タイガー)

カトリーナ・カイフ(ゾヤ)

ランヴィール・ショウリー(ゴービー)

ギリーシュ・カルナド(シェノイ博士)

2012年、インド(ヒンディー語)、133分

 

ニューデリー、ダブリン(アイスランド)、

イスタンブール、ハバナなどを舞台にした、

インド版007。

インド諜報部員のタイガーと

パキスタン諜報部員のゾヤが

恋に落ち、逃亡する。

例によって、わかりやすく、のんきに楽しめる娯楽映画であるが、

一応最後に、政治的なメッセージも加わっている。

「私たちが祖国に戻るときは

RAW(インド諜報機関)もISI(パキスタン諜報機関)もなくなっているときだ。」

男優も女優も美しく、音楽もよかった。

 

5/23(土)

№188

バーフバリ2、王の凱旋

原題:Baahubali 2: The Conclusion

監督:S,Sラージャマウリ

原案:K・V・ヴィジャエーンドラ・プラサード

音楽:M,Mキーラヴァーニ

キャスト

プラバース(マヘンドラ・バーフバリ、アマレンドラ・バーフバリ)

アヌシュカ・シェッティ(デーヴァセーナ)

サティヤラージ(カッタッパ)

2017年、インド(テルグ語、タミル語)、168分

 

バーフバリ」というタイトルは聞いていたが、

まさか第二編だとは知らずに借りてしまった。

Wikipediaによれば

バーフバリ 伝説誕生』に引き続きS・S・ラージャマウリが監督を務め、古代王国の王位継承争いの結末を描いている。前作を上回る25億ルピーの製作費をかけて、ハイデラバードラモジ・フィルムシティで撮影された。

とのことである。

 

超大作だというのはわかる。

いかにも大掛かりで、

たいへんな人数が登場する。

ただ、それ以上の見るべきものはなかった。

若者が興じるゲームの世界は

たぶんこんな感じの筋書きなのだろう。

これで楽しめるものは、哀れである。

M,Mキーラヴァーニの音楽はどれも良かった。

 

5/27(水)

№189

トゥルーマンショー

原題:The Truman Show

監督:ピーター・ウイアー

原案:アンドリュー・ニコル

音楽:フィリップ・グラス

キャスト

ジム・キャリー(トゥルーマン・バーバンク)

エド・ハリス(クリストフ)

ローラ・リニー(メリル・バーバンク/ハンナ・ジル

1998年、パラマウント、103分

 

見方によっては恐ろしい映画だ。

主人公・トゥルーマンは、保険会社に勤める明るい青年で妻もいる30歳である。

しかし、実はテレビドラマの設定で、

彼だけが真実を知らずに、町を再現した巨大セットで暮らしている。

妻も友人も俳優である。

或る時彼は、不自然さに気づいて、

この街から出ようとするのだが、

飛行機は予約が取れず、

バスは故障して動かなくなる。

ヨットで海に出たトゥルーマンは、海の壁にぶつかり、

出口を見つけて外に出た。

 

所詮人生はこんなもの、とみる見方もあろうし、

報道機関の恐ろしさを感じる見方もあるだろう。

自分は今自分なりの解釈を考え中である。

 

5/29(金)

№190

キリングフィールド

原題:The Killing Fields

監督:ローランド・ジョフィ

原案:ーー

音楽:マイク・オールドフィールド

キャスト

サム・ウオーターストーン(シドニー・シャンバーグ)

ハイン・S・ニョール(ディス・プラン)

ジョン・マルコヴィッチ(アラン

1984年、ワーナーブラザーズ、141分

 

ニューヨークタイムズの記者シャンバーグと、

その助手で通訳のプランとの友情を描く。

カンボジア内戦の実情について、私は映画を通じて初めて知った。

 

第二次大戦後、カンボジアは長く続いたフランス統治から独立し、

シアヌーク殿下が収めた平和な時代を迎えた。

だが、ベトナム戦争で北ベトナムを支援するシアヌーク政権をアメリカがけん制し、

軍事政権によるクーデターを起こさせた。

これがきっかけで、

アメリカが支援する政権側と、

シアヌーク殿下を頂点とするポルポト率いる「クメール・ルージュ」の内戦が始まった。

クメール・ルージュが勝利しプノンペンを支配したが、

シアヌークは幽閉され、ポルポトによる自国民の虐殺が始まった。

カンボジアはその後、1993年に民主化、

フンセン首相が君臨している。

 

映画は1973年にシャンバーグらアメリカ人が国外に逃れ

プランが取り残される時代を描いている。

プランは一人、ポルポト政権による重労働に従わされ、

インテリであることを隠して潜んでいた。

その時の彼の一言が印象的だ。

「ココではモノを言わずに従うことが大事だ」

今の私の会社での境遇に似ている。

 

透析のベッドで映画を見ていて涙が出たのは初めてだ。

最後にプランとシャンバーグが再開するシーンは、

バックに流れるイマジンとともに感動的なシーンだった。

音楽も素晴らしい。

プッチーニのトゥーランドット「誰も寝てはならぬ」、

ジョンレノンの「イマジン」、

そしてエンディングロールに流れる、

オリエンタルな編曲が魅力的な「アルファンブラ宮殿の思い出」

はいずれも心を打った。

Imagine there's no countries・・・は

この映画に対する皮肉か。

エンディングテーマのアルファンブラは

何事もなかったかのような悠久の大地に

五木寛之の「大河の一適」を思わせた。

 

こうした映画が作られるアメリカという国の自由さと多様さにあこがれる。

一方でコロナ禍の日本は、まるで情報統制でも敷かれているように

国民は大人しく従っていた。

権力者は賭けマージャンに興じていたのに・・・。

 

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5月は9作品を見ることができた。

二度目の「ドクトル・ジバコ」をはじめ

ムトゥやトゥルーマンショーの傑作、

キリングフィールドのような社会派作品に出合うことができてよかった。

自宅で見た「ドクトル・ジバゴ」は

コロナ禍のこの時期でなければ見ることはなかっただろう。

これも「すごもり消費」というのだろうか。