以前ブログで書きましたが、20年ほど前まで栃木県の足利市に住んでいました。

 

 

 今回5年ぶりくらいに足利に来ています。足利に来るとなぜかゆったりとした気持ちになり、1年近く放ったらかしにしていたこのブログを書こうという気にもなりました。

 

 今日は久しぶりに街を歩きました。

 東京からは東武伊勢崎線の特急で、浅草から1時間ほどで着きます。

 東武足利市駅は、中心部と渡良瀬川をはさんだ反対側にあって、街に入るには最初に中橋という橋を渡ります。森高千里の歌で有名になった渡良瀬橋の一つ下流の橋で、渡良瀬橋が有名になる前はこちらが足利のシンボルのようになっていて、地元の人は、この橋を見ると足利に戻ってきたと感じます。

 

 

 中橋から10分ほど歩くと、日本最古の学校として教科書などにも載っている足利学校があります。

 

 

 

 足利学校の創建についてはいろいろな説がありますが、平安時代839年に歌人小野小町(おののこまち)や書聖小野道風(おののとうふう)の祖父にあたる小野篁(おののたかむら)によって創設されたとする説が有力です。

 「板東の学校」としてヨーロッパにまで知られていた当時の学問の中心地でした。

 現在残っているのは、創建当時の建物ではなく、上の写真の江戸時代に建てられた学校門とその奥の孔子廟が残っているだけで、下の写真の藁葺き屋根の方丈などは、残されていた絵図面などを参考にして平成になって再建されたものです。

 最盛期の鎌倉時代には、現在の敷地の数十倍の広大な敷地に、3000人に及ぶ学生がいたということで、宣教師フランシスコ・ザビエルは、「日本国中最大にして最も有名な坂東のアカデミー」と記し、また、やはり宣教師のルイス・フロイスも「全日本でただ一つの大学であり公開学校と称すべきもの」と書いています。

 全体が国の史跡に指定されていますが、足利学校で重要なのは建物よりむしろ保存されてきた漢籍や印璽で、漢籍の中には中国にも残っていないものが多数あり、国宝に指定されています。

 

 足利学校の裏手に5分ほど歩くと鑁阿寺(ばんなじ)があります。

 

 足利学校から鑁阿寺までの道は落ち着いた石畳で、建物も歴史地区の雰囲気に合わせて建てられています。

 

 鑁阿寺は、元々は足利尊氏の祖先の足利氏の館で、周囲に堀と土塁をめぐらし、東西南北の四方に門を置くという、鎌倉時代の武士の館の典型的な建物です。

 後に足利氏の氏寺として寄進されて現在のようなお寺になりましたが、鎌倉時代の武士の館の遺構が残存する数少ないものとして国の史跡に指定されており、本堂は国宝になっています。

        

 北関東は雷の多いところで、大きな木造建築物は落雷によって焼失してしまうことが多かったのですが、鑁阿寺が1000年近く落雷を免れたのは、本堂の脇にある樹齢700年以上と言われる大銀杏が避雷針の役割を果たしたのだと言われています。

 大銀杏は秋になると見事に黄葉し、市内のどこからも見えますが、今はすっかり落葉してしまっています。

         

 

 鑁阿寺から15分ほど行ったところに織物の街足利の守り本尊、織姫神社があります。

        

 織姫神社は織姫山という山の中腹にあって、下から二百数十段の石段を登らなければなりません。結構きついです。

          

 

 石段の途中に蕎麦屋がありますが、ここは、北大路魯山人が愛した足利で一番有名な名店「一茶庵」の創業者の弟子筋の人がやっている店で、本家の一茶庵より創業者の味をよく守っているとも言われています。

         

 

 朱塗りの本殿は明治時代に建てられたものですが、最近はインスタ映えすると人気があるようです。           

 高いところにあるため、市内を一望できます。一面に桜が植えられていて、花の季節にはピンクの海のようになります。       

 石段を下りたところに水飲み場がありますが、そこには足利の水道水の能書きが書かれています。

 足利の水はミネラル分豊かな地下水で、先に書いた一茶庵の創業者も足利の水に惚れ込んで店を新宿から足利に移したと言われています。

 

 水飲み場の横には、民謡八木節の碑があります。

       

 

 織姫神社から10分ほど歩くと、八雲神社があります。

 足利では、織姫神社の方が一般的な人気が高いのですが、織姫神社は比較的新しく、明治時代に繊維産業に携わる人たちが寄進して建てられたのに対して、八雲神社は、869年に建立されたと伝えられていますから、足利学校とほぼ同じ頃からの長い歴史があります。

 以前は街の西の端の方にひっそりとあるイメージでしたが、最近、森高千里の「渡良瀬橋」の中に出てきたため、にわかに注目されるようになりました。

 

 八雲神社から20分ほど歩いて渡良瀬川に出ると、渡良瀬橋があります。

 こちらも、先に書いたように、中橋に比べると地味で、中橋より街の端の方にありますから、市民にとっては中橋の次に親しまれているような位置づけでしたが、「渡良瀬橋」のおかげで全国的に知られるようになりました。

 橋のたもとには「渡良瀬橋」の歌碑があります。

 

 歩行者用信号機の押しボタンのようなスイッチを押すと、森高が歌う「渡良瀬橋」が流れます。

              

 

 渡良瀬橋は、渡良瀬川が少し蛇行して南西方向に向いている場所にあるため、この時期、太陽が沈む方向と川の流路がちょうど一致してとてもきれいな夕陽を見ることができます。

 森高は、実際にこの場所に来る前に地図で名前を見つけてイメージして歌詞を書いたそうですが、歌になる以前から足利では夕陽の名所と思われてきましたから、森高のイマジネーションは素晴らしいと思います。

 

 刻一刻と表情を変えていく渡良瀬橋の夕陽は、沈んでしまうまでじっと見ていたくなる美しさです。

 森高が歌うように、「広い空と遠くの山々、二人で歩いた街、夕日がきれいな街」そのものです。

 

 陽が沈みきって薄暮になると、それまでおぼろげにしか見えなかった浅間山がくっきりとシルエットになって浮かび上がります。