キャロル・ベイヤー・セイガーは、本業は作詞家で、1965年にまだ大学生だった時に書いた曲がビルボード・チャートの全米第2位になったといいますから大変息の長いキャリアを持っています。

 私が初めてキャロルの名前を知ったのは、メリサ・マンチェスターと共作した1975年の「ミッドナイト・ブルー」という曲でメリサ・マンチェスターのファースト・シングルとしてリリースされた曲でした。その後、1976年にはシンガーソングライターのピーター・アレンと共作した「哀しみは心に秘めて(Don't Cry Out Loud)」( DON'T CRY OUT LOUD/ lyrics By: Melissa Manchester - YouTube )が同じくメリサ・マンチェスターの歌でヒットしました。

 「哀しみは心に秘めて」は、日本ではなかにし礼が訳詞をつけて「あなたしか見えない」( 伊東ゆかり・あなたしか見えない - YouTube )というタイトルで伊東ゆかりが歌ってヒットしました。ただ、この訳詞は原詞とまったく異なる詞がつけられており、原詞が人生がうまくいかない友達を励ます力強い内容であるのに対して、訳詞は恋に盲目な女性の歌にされてしまっています。

 原詞とはまったく違う訳詞をつけるのはなかにし礼がよくやるやり方ですが、元歌の意味を変えてしまっていいものなのかと思ってしまいます。それを考えると、1960年代に中尾ミエの歌でヒットした「可愛いベイビー(Pretty Little Baby)」などを訳した漣健児の訳は、原詞の意味をしっかりと捉えながら日本語としてもまったく違和感のない仕上がりになっていますので見事です。

 「哀しみは心に秘めて」は伊東ゆかりのバージョンがヒットしてからはメリサ・マンチェスターの歌のものも「あなたしか見えない」という邦題が使われるようになりましたので、レコード会社の見識を疑います。

 話がそれてしまいましたが、キャロル・ベイヤー・セイガーの曲で日本で知られているのは、1977年の映画「007 私を愛したスパイ」のテーマ曲でカーリー・サイモンが歌った"Nobody Does It Better"( Carly Simon Nobody Does It Better HD + HQ - YouTube )や、前回とりあげた映画「ラブ IN ニューヨーク」のテーマ「愛のハーモニー」、「ミスター・アーサー」のテーマ「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」などがあります。

(「007 私を愛したスパイ」サントラ盤ジャケット)

 

 「007 私を愛したスパイ」の音楽を担当したマービン・ハムリッシュはバーブラ・ストライザンドが主演し、主題歌が大ヒットした映画「追憶」やミュージカル「コーラス・ライン」の作曲者ですが、マービンとキャロルは当時付き合っていたそうです。

 アメリカ人の友達によれば、キャロルは、マービンと付き合う前にはメジャー・リーグの野球選手と付き合っていて、その人を振ってマービンと付き合い始めたために、その選手は大スランプに陥ってしまったそうです。その前からもかなりの恋愛遍歴のあるキャロルはアメリカでは悪女だと言われていると言っていました。後でとりあげるファースト・アルバム、セカンド・アルバムのジャケットを見ていると何となくキャロルの悪女ぶりの本質がわかるような気がします。

 確かにキャロルは恋多き女で、初期のヒット曲のクレジットはキャロル・ベイヤーとなっていましたが、70年代に私が知った時にはキャロル・ベイヤー・セイガーと名乗っていましたので、おそらくセイガーさんという人と結婚したのだと思います。その後何人の人と付き合ったのかはわかりませんが、少なくとも件の野球選手とマービン・ハムリッシュとは付き合っており、さらに「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」と「愛のハーモニー」のヒットの後には作曲者のバート・バカラックと結婚し、さらにバート・バカラックと別れた後に現在のダンナと再婚しています。

 マービン・ハムリッシュとは、当時の二人の恋の経緯を題材にした「ゼイ・アー・プレイング・アワ・ソング(They're Playing Our Song)」というミュージカルを劇作家のニール・サイモンとおのろけ的に作っていますので、ふられた野球選手がスランプに陥るのも無理からぬ事だと思います。

(「ゼイ・アー・プレイング・アワ・ソング」オリジナルキャスト・アルバム・ジャット)

 

 「ゼイ・アー・プレイング・アワ・ソング」は1990年代に東京で、ニール・サイモンの全作品上演シリーズが開催された時に、簡略版でしたが、上演されました。都会的なコメディを得意とするニール・サイモンらしいウイットに富んだ筋と、マービンとキャロルの音楽も素晴らしい作品でしたので、是非本格上演してもらいたいものです。ニール・サイモンは三谷幸喜が尊敬する劇作家ですが、1990年代以降、三谷幸喜がシチュエーション・コメディを日本で根付かせましたので、当時より日本で受けるようになっていると思います。

 

 またまた話がそれてしまいましたが、キャロル・ベイヤー・セイガーは、1970年代にメリサ・マンチェスターやピーター・アレンとの共作でヒットを連発していた時期に、自らの歌でアルバムを2枚リリースしています。1977年の「私自身(Carole Bayer Sager)」と78年の「トゥー(Too)」ですが、ハスキーなウィスパリング・ボイスでアルバムジャケットから想像できるような女性としての独特の世界観を表現しています。

 

(「私自身」ジャケット)

 

(「Too」ジャケット)

 

 「私自身」では、メリサ・マンチェスターが歌ってヒットした「ホーム・トゥ・マイセルフ(Home to Myself)」と「カム・イン・フロム・ザ・レイン(Come in from the Rain)」( Come in from the Rain - YouTube )をセルフ・カバーしています。また、シングル・カットした「ユー・アー・ムービング・アウト・トゥデイ(You're Moving Out Today)」はキャロル自身の歌で大ヒットしました。「カム・イン・フロム・ザ・レイン」はカーメン・マクレエやローズマリー・クルーニーなど女声ジャズ・ヴォーカリストが好んで取り上げ、今ではスタンダード化しています。

 「Too」では「恋をしましょう(It's the Fallin' in Love)」( Carole Bayer Sager It's The Falling In Love - YouTube )がヒットし、後にマイケル・ジャクソンがアルバム「オフ・ザ・ウォール」でカバーして再度ヒットしました。

 

 結局、マービン・ハムリッシュとは結婚しないまま別れ、1980年代初めにはすでに述べたように「ミスター・アーサー」、「ラブ IN ニューヨーク」でバート・バカラックと一緒に仕事を始めます。そうして、1981年には二人は結婚します。バカラックは私が最も好きな作曲家で、キャロルはハル・デビッドの次に好きな作詞家でしたので、二人が結婚したことを知った時には驚きもしましたし、我が意を得たりという気持ちになりました。ちょうど同じ頃、日本では作曲家の加藤和彦と作詞家の安井かずみが結婚していましたので、なんとなく2つのカップルは私の中では重なってしまいます。

 この二人が熱々の時期に制作されたのが1981年のアルバム「真夜中にくちづけ」です。

(「真夜中にくちづけ」ジャケット)

 前二作のジャケットが部屋の片隅でひとりぼっちで佇んでいるというようなちょっと寂しげな雰囲気だったのに対して、この作品では、これからデートかパーティーにでも行くというような感じのウキウキするような気持ちを表したジャケットになっています。

 裏ジャケットはバート・バカラックとの仲睦まじいツーショットですから、またキャロルのおのろけ癖が出ていると思ったものです。

(「真夜中にくちづけ」裏ジャケット)

 

 「真夜中にくちづけ」は大部分がバート・バカラックとの共作曲で占められていますが、ほかにもニール・ダイヤモンドやピーター・アレン、ブルース・ロバーツなど錚々たるソングライターとの作品を取り上げています。

 このアルバムはそのようにバカラックの他にも数名のソングライターが参加しており、また時期的には古い曲も取り上げていますが、A面、B面それぞれの曲がシームレスでつなげられており、恋する女性の心の機微がみごとな一体感をもって表現されています。

 このアルバムは、シングル・カットされた「愛は果てしなく(Stronger Than Before)」( Stronger Than Before - YouTube )チャカ・カーンやディオンヌ・ワーウィックに、また「愛にゆれる(Somebody's Been Lying)」がカレン・カーペンターにカバーされるなど、ファースト・アルバム、セカンド・アルバムにも増して名曲揃いです。また、「ジャストフレンズ(Just Friends)」( Just Friends - YouTube )ではマイケル・ジャクソンとデュエットしています。

 1980年代はAORが花開いた時期でしたが、AORの代表的なアルバムとして男声ヴォーカルではボズ・スキャッグスの「シルク・ディグリーズ」を、そうして女声ヴォーカルではこのアルバムをあげる人が多いのも無理からぬ事だと思います。

 キャロル・ベイヤー・セイガーは1960年代以降、アメリカのポピュラー・ミュージック・シーンで常に第一線で活躍してきた作詞家ですが、あまりにも曲が多すぎてどれが代表作かと言いづらい面があります。2013年にバート・バカラックと一緒にロサンゼルスでチャリティー・イベントに出演した時にキャリアを一覧するような大メドレーを歌っていますが、その様子はYOUTUBEで見ることができます( Carole Bayer Sager and Burt Bacharach at LACMA Fundraiser v3 - YouTube )。最初に長々とMCが入りますので、5分間くらいは飛ばして見ましょう。

 このショーでは、キャロルの後にバート・バカラックが登場して名曲の大メドレーを披露しますが、登場の前にただ歌のうまいだけの人が歌う5分間くらいのインターバルがありますので、これも飛ばして見ましょう。