平群天神社(千葉県南房総市富山)No1737
No1737
前回の伊予ヶ岳の民話の中で、出て来た平群天神社!
私達は伊予ヶ岳に登る時には神社の駐車場に
車を止めて
境内を通って登山道へ向かいます!
なので
登る前には必ずお参りをしてから登ったものでした!
これは平群天神社の鳥居の脇にある神社案内ですが
『平群』と書いて『へぐり』と読みます!
ところが信号機や道路の案内板には
『平久里』と書いてあるのです
昔はこの辺り平群村と言ったそうですが
現在、平群の文字が使われているのはこの神社と郵便局と小学校だけだといいます!
どうして、平久里と変ってしまったのでしょうか?
平群と言う地名は大変古い名称で
その由来は聖徳太子がいる時代まで遡るといいます!
その時代と何か関係があるのでしょうか?
この時代には有力な豪族が2人いて、椿井氏と平群氏でした!
平群の意味は辺の国で辺境の地と言う意味だそうで
ヘクニ(辺国)を語源とし大和国の端に位置する事に由来する…とあり、
ヘクニが→ヘグリに変って行ったとありました!
そして、大和の国、奈良県にも平群町という地名がありました!
鳥居をくぐり境内を歩いて行くと南房総市指定文化財の大きな楠木があります!
この楠木は約千年前に住民が植えたものと伝えられる大きな護神木です!
この神社の始まりは室町時代の文和2年(1353年)
細川相模守が霊夢により
京都北野天神をこの地に勧請し、平群村の鎮守として信仰を集めました!
天正14年(1588年)里見義頼公の命で
大工 飛騨守家助により本殿が改築され
貞亨4年(1687年)弊殿拝殿が改築され
更に文化5年(1808年)神照寺法印宥弘により再建されました
明治6年、郷社に列され特に学問の神として広く信仰されている…とありました!
学問の神様と言えば…菅原道真公ですね!
御祭神として祀られていました
本殿の脇に打ち上げ花火の筒が置いてありました!
戦前は天神杜の秋祭りは神輿と打ち上げ花火で
国中一番と言われて来たそうで
平群の花火は宝暦2年(1752年)
下総の新助の伝授で下村、中村の門外不出の秘伝として受け継がれ
木製の打ち上げ筒で大空高くうちあげられ
満天に色とひかりの絵巻が繰り広げられて来たと書かれていました!
処が戦後、火薬取締法により製造が中止されてしましたが
当時使用されていた打ち上げ花火の筒がここにのこされているとの事でした!
平群天神社にお参りを済ませ、路地を歩いていると誰が植えたのか綺麗な花が
咲いていました!
晩秋に咲く花なのですね、綺麗でした!(^^)/
さて、房総の低名山に登るには私はこの季節が一番だと思っています!
富士山も良く見えるし!
適度に汗をかきたった40分程で頂上まで行ける伊予ヶ岳!
頂上からの眺めは最高です!
たった40分で登れる山では物足りないって言う方は
直ぐそばに御殿山、富山もあります!
こちらの山はチョット手強いかも知れません!(^_^;)
お付き合い誠にありがとうございました!
m(_ _)m(・・;)