金剛山金乗院(鴨川市大日)NO 777 | 房総ENJOY-LIFE、

金剛山金乗院(鴨川市大日)NO 777

NO 777
今回は江戸時代の宮彫刻師、波の伊八
『武志伊八郎信由』の彫刻のある金剛山、金乗院へ行って来ました

一時期のブームはスゴイもので都心より
バスツアーで房総観光の目玉でしたが
今は以前のようなブームが去ってしまったような気がします

鴨川有料道路を下って鴨川市大日の交差点まで来ると
左に見えて来るのが金剛山、金乗院です


まずは仁王門から

ここの仁王様なんですがチョッと変わった仁王門様で
怖い顔して威圧するのではなく
静かに人を悟しているようにも見えます

何か悩みでもあるのでは?…と
思ってしまうような表情の仁王様!
でも仏敵を追い払う守護神様です

この仁王門には伊八二代目から五代目までが手掛けた彫刻があると聞きました
たくさんの波の羽目板が張ってあり
何処が誰の作なのかはわかりませんでした


この金乗院の資料を探してみましたが
いつの頃に誰の開基で始まった寺なのかが
わかりません

わかったのは平安時代初期、弘法大師ゆかりの大日如来像を
安置する為に建てられたと言うことでした

総本山は京都市東山区にある『智積院』と言う真言宗のお寺で
山号を五百佛山(いおぶさん)と言うそうです
宗祖は皆さんこ存じの弘法大師(空海上人)と書いてありました!


大日如来堂を覗いてみると『向拝の龍』
(宝珠と火焔龍)
安永8年(1779年) 初代伊八28歳の時の作

そして欄間『酒仙の図』7人の若い仙人達が
壺の中にある酒を呑み交わし陽気に歌い踊るめでたい図です!

これも伊八28歳の時の作と資料にありましたが
地元の資料には制作年不詳(20代後半の作では?)とありました


多分、安永8年(1779年)に向拝の龍が彫られたと言う事は
その頃に大日堂は建て替えられたのではないでしょうか?

そして今の大日堂は昭和7年(1932年)
弘法大師一千百年遠忌を記念して
再建されたそうです

この金乗院を出てみると交差点の先に
『波の伊八、生誕地』の看板が見えます!

行って見ると県道から入った細い道の先に
生家跡があり
そこには波の伊八の先祖代々の御墓がありました!

武志伊八郎信由より続いた波の伊八の名も
五代目、高石武一郎(1890年~1954年)で途絶えてしまいました!

一時期、鴨川市鏡忍寺に墓所はありましたが
子孫もこの地を去り遠方に移住した為

四代目、高石仙蔵の二女
越雲マサの意思により末代の供養を念じて

旧居住跡の旧墓地に墓は戻されたそうです!

今も尚、作品を各地に遺した『波の伊八』(武志伊八郎信由)ですが
どんな人柄だったんでしょうね?

作品が神奈川県や東京にもありますが
遠い所へは泊まり込みで作業に行ったとありました!
今の時代のようにホテルや旅館のような物が必ずあったとは限りません

どんな風にして出先で寝泊まりをしていたのでしょうか?
そういった細かい事は一切明記されてはいません!

考えて見ると電車も車もない時代!
彫刻を彫る為の道具も持って行かなければなりせん

歩いて行くしか手段のなかった頃
ひとつの仕事をやり抜くだけでも大変なことだったと察します!

御墓の前にて、合掌m(__)m

お付きあいありがとうございました!
m(__)m

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