武将、酒井小太郎定隆、2(日泰上人との出会い)千葉市若葉区NO 327 | 房総ENJOY-LIFE、

武将、酒井小太郎定隆、2(日泰上人との出会い)千葉市若葉区NO 327

NO 327

酒井定隆の出生が
明確にわからない事は
前回、書きましたが

今回、定隆と日泰の出会いの話を…!!
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(本城寺山門)

文明6年(1474年)
定隆は古河公方足利成氏の元を離れ

当時 勢いのあった安房里見氏の元へ赴く途中
家来三人を従い
品川より船に乗り千葉の浜野へ向かった

その船に偶然 京都日蓮宗の僧、日泰と言う人物がいた

日泰は永享4年(1432年)定隆と同じ年代に
京都洛陽の白河の生まれ

天台宗に学んだが
僧侶として出世するには
新興派の方がよいので

日蓮宗に改宗し関東に
下ってきたのだった

宗教界でも天台宗、真言宗の既成実教に対し新興教団が多く発生した時代でした

同船した定隆(39歳)と日泰(42歳)

野望に燃える両勇は
天下国家を論じたと記されてました

ところが船出して間もなく
海は転覆せんばかり嵐になってしまった

この時 日泰が船の舳先に立って題目
『南無妙法蓮華経』と唱えると

風はたちまち鎮まり
人々は難を逃れる事が出来た

定隆はその法力に感嘆し
日泰を尊敬するようになり

浜野に着いてからも
互いの将来の希望を語り合ったそうです

そして定隆は
『自分が一城の主となった暁には
貴僧を迎え領内ことごとく宗門となし

今日の御礼と致しましょうビックリマーク』と
約束をする

そして日泰は浜野の廃寺を興して
日蓮宗の寺として
付近の住民に日蓮宗を
布教したのでした
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(本城寺本堂と本尊、また光でボケました)

里見氏に使え一大将となったが
里見子飼の家臣でないため

勢力の確定していない
里見領最先端 危険な中野に配置された

中野城の地形からして
十分な守りができない所で10年を過ごし
やっと土気に城を築く事になる
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(中野城址の土塁跡)

長享2年(1488年)
定隆は京都を出て17年
小なりと言え一国一城の主となり
彼の希望は達せられた…となると日泰との約束

土気城入城後 最初の行事は
日泰を招待する事から始まり

そして上総七里法華
改宗令の始まりです
次回!!

お付き合いありがとうございました
m(_ _)m