武将、酒井小太郎定隆、1(本城寺)千葉市若葉区、NO 326 | 房総ENJOY-LIFE、

武将、酒井小太郎定隆、1(本城寺)千葉市若葉区、NO 326

NO 326

千葉県には随分と
城跡と言われる所は
ありますが

今回は酒井定隆が城主だった
中野城址(本城寺)へ行ってきました
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中野城は文明年間
(1469年~1487年)

武将 酒井定隆が築城

私がここで興味深かったのは

この中野城から続くと言われる洞穴
『メドッコ』と言う

抜け穴とも水道とも言われる
穴があると言うのです

資料には載っていますが
残念ながら探しても
見つかりませんでした

地元のおじいちゃん達
何人にも聞いてみましたビックリマークしかし

『オラは何十年と
この土地に住んでいっとも

そなもの見た事も
聞いた事もネェDASH!
…と言うのです

『それってナマッてないかい!?

結局わからずじまい
(;_;)
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(本城寺の山門)

酒井定隆は10年余りを中野城で過ごし

その後土気城に移ったそうです

そして長享2年、日泰上人に懇願して
城跡に建立したのが本城寺だそうです
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(本堂)

そして山門から見えるお堂は
この寺の開基である
日泰上人を祀った泰師堂
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さて、酒井定隆と言う人物
いったいどんな武将なのでしょうか?
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生まれは遠州(静岡県)と
言われていますが

祖については藤原氏系
新田氏系 千葉氏系
土岐氏系とも言われ

一説には平安中期
下野国の豪族 藤原秀郷の末裔に

相模国酒井郷を領した者が
酒井姓を最初に名乗ったといいます

足利持氏の家人をしていた
政敏なる人物が鎌倉に住んでいたが

この人物の子として
定隆は生まれたのでは?
と言ういろんな説がありました

当初室町幕府で将軍 義政 義尚に使え
その後 関東に出てきて

鎌倉公方で足利成氏に使えた
文明3年(1471年)

古河が長尾氏に攻撃され
成氏が古河を去ると

今度は安房 里見義実を頼った
その道中 品川より船で上総浜野へ向かう途中

日泰上人と運命の出会いをします

次回!!

お付き合いありがとうございました
m(_ _)m