11月26日(土)、二泊三日の 信州ひとり旅 も いよいよ最終日。
こちらが、昨晩泊まったホテルでございます。
今から30年ほど前、 上高地一泊二日バスの旅 にて、
朝福山を出て、ひたすらバスは走り、夕方の松本着。
翌朝、上高地を二時間ほど散策し、またまたひたすらバスで福山へ~~~★ ゆぅバスツアーにGW,さんかしたことがありましたが、その時,泊まった宿がこちら。今回あれ以来、二度目の宿泊です。
(当時は、東急ホテルとゆうてたような記憶が)
特急しなの からの 長野盆地の眺め。
最終日、 またまた大糸線に乗り、穂高、安曇野方面にいくかにゃあ~?
それとも上田で真田氏訪問するかにゃあ~?とも思いましたが、
真田氏といえば、真田幸村の兄,信之がおさめた松代もあります。
各駅電車で一時間以上、立っていくのもしんどいにゃあ・・・・なんで、9時過ぎの、特急しなの、奮発です。
一時間ほどで長野とうちゃこぉお~★
そこからバスで川中島経由し、またまた約一時間ほどで、松代へ。
こちらが、 松代城。今回、二度目の訪問です。
10数年前初めて訪れたときは、 NHKの大河ドラマ 「軍師官兵衛」が、終わった直後で、風林火山 の旗 が、幾重にもはためいてましたが、 今回は、六文銭。
松代城と名乗る前は、 海津城と呼ばれ 武田信玄 VS 上杉謙信 川中島の戦い にて、 啄木鳥作戦が行われた際の、武田が籠ったのが、この海津城。 上杉方が籠ったのが、三キロほど先の妻女山だそう。
今回は、真田信之松代入城400年ののぼりがはためいてます。
土塁、石垣で護られるお城の彼方には、北アルプスの山並み。
前回、松代訪問の際は、駆け足で海津城(松代城)訪問しただけでしたが、今回は、のんびり、城下町の風情が残る松代の町を散策です。
お城から20数分で 松代象山地下壕。
太平洋戦争末期の昭和19年11月11日から、
大本営が、本土決戦に備え、軍司令部、各省庁、天皇陛下さんの移転を計画し、終戦の20年8月15日まで、穴が掘られたんだそう。
地下壕の一部 500メートルほどが見学できます。
受付で、何処から来たのか、何名かを聞かれ、無料で見学できます。
ヘルメット装着です。
外から見たらこんな感じの低い山です。
当時、地元の民家100軒ほどが、天皇の住居建設のため、強制的に立ち退きされたんだそう。
最近、憲法改正が盛んにTVで報じられてますが、憲法改正で「有事の際は、強制的に・・・・・」も可能にするとまるで戦前に戻るようなことをゆうてますが、
憲法改正の際は、何処をどう改正するのか、国民にしっかり知らせてくれれば、ええけどにゃあああ・・・・。
ほんで、この壕をほるのに、当時の予算で、 一億とも二億円ともいわれる巨額の額がつぎ込まれたんだそう。
本土決戦、一億玉砕 とか、国民をたきつけ、
偉いさんたちは、しっかり穴倉に隠れる気じゃったんじゃあにゃああ・・・・。
何だかにゃあ・・・・ゆう気持ちで,地下壕を出た後は、松代城下町を散策。こちらが、松代藩の子供たちを教えた藩校、
文武学校。
こちらは、剣術道場。 高杉晋作も修行で訪れたことがあるんだそう。
ほかにも殿様の住居 真田邸 や真田宝物館 他、城下町の風情が今も残る松代の町でございます。
松代を2時30分のバスで出て、再び長野へ。
そこからまたまた 特急しなの で 松本の町に帰ってきたのが、5時過ぎ。
辺りは、もぅ真っ暗です。
三日間、歩いて へとへと の おっさん ですが、最後の力を振り絞り、 駅から歩いて行ったのが、
ライトアップ された 夜の松本城。 暗闇に黒い天守が浮かんで、ええですにゃあ。
6時前、駅前に戻ってきて、 居酒屋でちょこっと一杯。
松本駅発19時過ぎの しなの24号 で 二泊三日の旅を終え、
帰るのでありました。
労働をしてた頃は、日曜祝日しか休めないんで、 朝、福山を出て、
サイトウキネンを聴いた後、この電車でよく日帰りしたにゃああああ。
今は、もう、松本日帰り は、無理かにゃあ^^。
名古屋に21時20分過ぎ、とおちゃこ し、新幹線に乗り換え、 福山着は、23時30分ごろでありました。
駆け足の信州旅行じゃったけど、 渾身のマーラー9番も聞かれ、快晴の北アルプスや白馬にも会え、えかったにゃああ。
来年も 8月20日~9月6日、 サイトウキネンのフェスティバル は、開催予定なんだとか。
シッカリとビンボー財布から、こずかい 捻出し
来年の夏も 松本へ帰ってくるどおおおお~~~!!?
~~~ 追加牡蠣子 ~~~
ニコンD850, シグマ24~105mm、
iso 5,000 絞り優先、 F8、 シャッタースピード 四分の一秒 手持 トリミング で
シッカリと松本城の一階の黒板が写ってましたぁああ。