わたくしたちが結婚式や披露宴に招かれた場合、型のとおりに服装をととのえて、定刻までに出席し、型のとおりに祝辞を述べるなど〈婚礼〉の礼法にはずれることのないようにふるまったとしても、食事のしかたが無作法であったり、立ち居振舞いが粗野であったりしては、周囲の人々の笑いをかい、ときには、そしりを受ける結果にもなりかねません。

つまり、わたくしたちは、そのような祝祭行事に出た場合、儀式や行事の作法どおりにふるまったとしても、日常的な礼儀作法に欠けるところがあれば、礼を失する結果になるのであり、〈冠婚葬祭〉の礼法は、日常的な礼儀作法が伴って、はじめて完全なものとなるのです。

 

ここぞという時に困らないように、日頃から礼儀作法やマナーについて考えるようにしておきましょう。

 

 


河瀬大介

彼岸に墓参りをしたときは、まず、墓石と墓地を掃除します。

掃除用具は、家から持参することもありますが、寺や墓地の監理所から借りるのが普通です。

まず、墓石に手桶の水をかけ、たわしなどでこすって、ほこりやこけなどをとり、また、墓地のまわりの雑草を抜いて、落葉やごみなどといっしょに燃やします。

こうして、掃除を終わったら、花を花立てに飾り、束になった線香に火をつけて、束のままそなえます。

次に、縁の近い者から順に墓前にすすみ、新しくくんできた手桶の水をひしゃくにくんで、墓石の真上からかけ、終わって、拝礼します。

墓石に水をかけるのは、仏さまに水をのませてあげるのだといい、参列者が順々にかけてゆくうちに、乾いたところが残らないよう、まんべんなくかけるのが、故人に対する思いやりだとされています。

なお、仏壇のある家庭では、〈彼岸の入り〉の前日までに仏壇を掃除して、花などを飾り、〈彼岸〉のあいだは、毎日、故人の好物やくだもの、彼岸だんご、おはぎなどをそなえて、供養をします。

 

 

 

河瀬大介

春分とは、二十四節季の一つで、太陽の中心点が春分点に来たとき、いいかえると、太陽の黄径が0度になるときをいいます。

このとき、太陽は地球の赤道の真上にくるので、全地球上の昼と夜の長さは等しくなります。

ついでながら、〈秋分〉も、同様に、二十四節季の一つで、太陽の中心点が秋分点にきたときをいい、太陽は、やはり、地球の赤道の真上にくるため昼と夜の長さが等しくなります。

この〈春分〉を含む日を〈春分の日〉といい、〈秋分〉を含む日を〈秋分の日〉というわけです。

この両日を、国民の祝日とした趣旨は、〈春分の日〉は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ためとされ、〈秋分の日〉は、「祖先をうやまい、なくなった人をしのぶ」ためとされています。

しかし、仏教徒は、伝統にしたがって、この両日を、それぞれ、春の(あるいは秋の)〈彼岸の中日〉と呼び、その前後7日間は、いまでも、寺々で仏事を行なったり墓参りをしたりして、亡き人の霊を慰めます。

なお、仏教徒は、7日間の、春または秋の彼岸の最初の日を〈彼岸の入り〉と呼んでいます。

 

 

 

河瀬大介

(1)年始回りには、〈御年賀〉などとしるした、のし紙付きの手土産を持参するのが普通です。

その品物は、本人の生活程度や先方との関係で、まちまちですが、とくに、年末に〈御歳暮〉などを届けてある場合には、さほど高価なものでなくてもよいわけです。

(2)年始回りに行ったさきに、小学生以下の子どもがいる場合には、〈お年玉〉を贈るのが習わしです。

これはあらかじめ、お年玉用の小さなのし袋に入れて、用意してゆくのが礼儀で、先方で、子どもの顔を見てからあわてて財布から取り出して、裸で渡したり、ちり紙に包んで渡したりすると、座が白けるものです。

お年玉を贈るのは、普通は小学生ぐらいまでですが、親戚やごく親しい人の子どもなら、中学生や高校生にもあげてかまいません。

 

 

 

河瀬大介

■挙式の費用双方半額ずつ負担
これは、昔風に男性側で負担する例も多い。

■披露宴の費用双方半額ずつ負担
ただし、双方の招待客の人数に差があるときは それぞれの側の招待客の頭割りで負担する。

 

■その他
挙式服の費用それぞれ自分持ち
仲人への謝礼双方半額ずつ負担
新婚旅行の費用 男性側の負担
新家庭建設用の費用
住居の費用男性側の負担
借家・アパートの敷金・権利金・礼金など。
台所用具の費用 男性側の負担
家具調度の費用女性側負担

ただし、双方がほぼ同額ずつ負担するというのは、原則で、あくまで同額でなければならないというのではありません。

双方の経済力に差のある場合や、一方に、まだ小さい弟妹が大勢いるのに、他方にはいないなどというような場合は、おたがいに、もう他人ではなくなるのですから、たがいに忌憚なく話しあって、余裕のあるほうが多く負担するのが当然であるといえましよう。

 

河瀬大介

婚約期間中、万一にも、相手の人柄や素行などについて、いままで気付かなかった好ましくない面が発見されたような場合には、婚約解消もできますが、それが、他人の中傷や自分の誤解による場合もありえますから、軽々しく決定することは避けなくてはなりません。

事柄によっては、両親や仲人などにも意見をきいたり、あるいは、直接、先方にその真否を確かめたりしたうえで、それが結婚生活をつづけていくうえに、大きな支障になるとわかったら、はじめて、婚約解消に踏みきるようにします。

婚約を解消するときは、仲人がいる場合は、仲人にわけを話して、先方に伝えてもらい、仲人のいない場合は双方と親しい先輩などに頼んで、先方に伝えてもらうようにします。

なお、婚約解消の際は、結納品や婚約記念品など、婚約のために交換した金品は、おたがいに人を介して返すのが常識です。

 

河瀬大介

春分、秋分の日を中心に、それぞれ前後三日間ずつをあわせた一週間が彼岸です。

初日を彼岸の入り、最終日を彼岸の明けといい、春分は三月二十一日ごろ、秋分は九月二十四日ごろになり、彼岸の中日と呼んで祭日とし、一般的にもお休みとなります。

が、正確には彼岸とは春の彼岸をさし、秋の場合は秋の彼岸と断るのがふつうです。

ともに昼夜等分する中道のときで、暑さ寒さも彼岸までというコトワザもあるくらいで、この時期を彼岸というのは、仏教の考えに由来するもので、現世の迷いを離れ、悟りの岸に達するという意味です。

すなわち、春分の日の太陽は真西に入るので、かねて極楽浄土は西にあるとしているところからこれによってその方角を正しく衆生に示すことができるとし、寺院では彼岸会を営むのであって、家庭でも仏壇をきれいにし、お坊さんに読経してもらったり、お墓まいりをしたりします。

河瀬大介

わが国の離婚史上、画期的な出来事は、明治六年(一八七三年)、太政官(今日の内閣)布告第一六二号で"女も止むをえざる際は出訴不苦(妻のほうでも、どうしても離婚したいときは、訴え出ても構わない)"とされたことです。

以後、この方面でも逐次、女性の権利は拡張されていったのであって、旧民法の離婚に関する法規は、この太政官布告の線にそったものですが、何といってもやはり、裁判上に男女不平等の定めがあるのは免れなかったのです。

現行民法ではそれが改められており、一定の離婚原因がある場合には、裁判によって離婚を許す裁判上の離婚のほかに、当事者双方の合意と届出さえあれば、効力を生ずる協議離婚と、家庭裁判所における調停による離婚を認めており、離婚の容易な点にかけては、欧米各国にもその比をみない進歩的なものだとされています。

河瀬大介

主賓の挨拶がおわりますと、司会者は立ち上がって礼をのべます。

「ありがとうございました。笹川支店長様のお話は、わたくしともどもまことに、感銘を深くいたしました」

つづいて司会者は、副賓(花嫁方のいちばんたいせつな客)に、祝辞を求めることもあるが、祝宴にはいる関係上、たいていは乾杯とします。

「ご来賓のみなさまがたから、たくさんのご祝 辞をいただきたいのですが、時間の関係もございますので、それは後ほどお願いするといたしまして、ここで、新郎、新婦の前途を祝し、乾杯をいたしたいと存じます。

新婦の恩師に当たらせられる聖徳女子短大教授大牟田三郎先生に発声をお願い申し上げます」

発声は副賓に指名します。

祝辞をお願いする代わりというところです。

河瀬大介

まずは、さわやかな応対を心がける。


受付係は次々と到着する招待客が、まず最初に出会う当事者側のスタッフです。

会社や銀行の受付係と同様、客に対して好ましい第一印象を与えることが、何よりもたいせつといえます。

明るくにこやかな態度、礼節をわきまえた言葉づかいが受付係に必要なことはいうまでもありません。

また、招待客が芳名帳に署名するときや、控え室なり会場なりに案内するときなど、もたもたと手間取らせたりすることがないように、機敏に対応する心がまえも必要です。

当日、責任をもって受付係を務めるために、あらかじめ準備しておかなければならないことがあります。

まず新郎新婦と打ち合わせて、招待客の人数と顔ぶれ、新郎新婦との関係などを知っておく必要があります。

席次表も前もって預かっておき、遅れてきた招待客を、席まで案内できるようにしておくこともたいせつです。

次に、当日結婚祝いを会場に持参する招待客がいますので、その取り扱いについて当事者から指示を受けておきます。

お祝いの現金や品物を管理する係が他にいるなら別ですが、受付係が兼務する場合は、披露宴が終わった後、だれに渡せばいいのか、しっかりと確認しておくようにします。
 

河瀬大介