大阪府枚方市にある俺の実家には沢山の思い出が詰まった宝箱がある
今日も二階にあるまだ残ってある自分の部屋で
思い出の宝箱を開けて
大爆笑してた
見つけた
昭和52年ラブショックで歌手デビューした時のポスター
小さな箱を開けたら
小学生の頃の作文が出て来た
『僕の夢』
笑わないでよ
俺は爆笑したけど
『僕の夢』
川崎麻世
僕は、小さい頃から今までになりたい物はいろいろ変わってきました。
幼稚園の頃、黄金バットになりたかった。
それは、人間の頭蓋骨と黄金バットの顔とよく似ているので、僕にもなれると思いました。
憧れていた黄金バットが枚方パークに来ました。僕は喜んで行きました。握手をしてもらいました。
そんな幼い頃、新幹線に乗りました。かっこいいな、僕は気が変わって、新幹線の運転手になろうと思いました。でも、黄金バットの夢は、心の底深くで、まだしぶとく残っていたのです。
小学校に入るまで、この夢は残っていましたが小学校に入って、母の意見を取り入れて、医者になりたいと思いました。
医者と一口に言っても、いろいろ種類がありますが、内科をやりたいと思います。ごく普通の医者ではなく、医者行脚になりたいと思います。恵まれない国、戦争で苦しんでいる国などを訪れ、世界一周を医者行脚として回って行きたいと思います。適当な時打ち切って日本に戻って、普通の医者に変身していき、急病の人でひどい病気だと、何日かかっても治して行きたいと思います。
医者になって忘れてはいけない事は、人の命がかかっているという事です。
僕の親戚の子も医者になると言っていました、僕はおもしろ半分に、「そしたら病院のチェーン店作ろか?作ったらなんという病院の名前にする?」などいいましたが、その夢が実現できるようにしたいと思います。
誰がなんと言おうと、僕は医者行脚。医者になって、日本一の医者になりたいと思いますが、
どんな悩み、困難を乗り越えても日本一の医者行脚、日本一の医者になるという夢を、持ち続けて行きたいと思います。
以上
黄金バットとはスカル顔のヒーローでした
幼い頃からスカル好きだったみたいだね
医者にはならなかったけど人を助けたい気持ちは幼い頃からあったんだね
そんなに黄金バットになりたかったなんて
覚えてないよ
あなたの小さい頃の夢は
作文ウケるよね
今日も二階にあるまだ残ってある自分の部屋で
思い出の宝箱を開けて
大爆笑してた
見つけた
昭和52年ラブショックで歌手デビューした時のポスター
小さな箱を開けたら
小学生の頃の作文が出て来た
『僕の夢』
笑わないでよ
俺は爆笑したけど
『僕の夢』
川崎麻世
僕は、小さい頃から今までになりたい物はいろいろ変わってきました。
幼稚園の頃、黄金バットになりたかった。
それは、人間の頭蓋骨と黄金バットの顔とよく似ているので、僕にもなれると思いました。
憧れていた黄金バットが枚方パークに来ました。僕は喜んで行きました。握手をしてもらいました。
そんな幼い頃、新幹線に乗りました。かっこいいな、僕は気が変わって、新幹線の運転手になろうと思いました。でも、黄金バットの夢は、心の底深くで、まだしぶとく残っていたのです。
小学校に入るまで、この夢は残っていましたが小学校に入って、母の意見を取り入れて、医者になりたいと思いました。
医者と一口に言っても、いろいろ種類がありますが、内科をやりたいと思います。ごく普通の医者ではなく、医者行脚になりたいと思います。恵まれない国、戦争で苦しんでいる国などを訪れ、世界一周を医者行脚として回って行きたいと思います。適当な時打ち切って日本に戻って、普通の医者に変身していき、急病の人でひどい病気だと、何日かかっても治して行きたいと思います。
医者になって忘れてはいけない事は、人の命がかかっているという事です。
僕の親戚の子も医者になると言っていました、僕はおもしろ半分に、「そしたら病院のチェーン店作ろか?作ったらなんという病院の名前にする?」などいいましたが、その夢が実現できるようにしたいと思います。
誰がなんと言おうと、僕は医者行脚。医者になって、日本一の医者になりたいと思いますが、
どんな悩み、困難を乗り越えても日本一の医者行脚、日本一の医者になるという夢を、持ち続けて行きたいと思います。
以上
黄金バットとはスカル顔のヒーローでした
幼い頃からスカル好きだったみたいだね
医者にはならなかったけど人を助けたい気持ちは幼い頃からあったんだね
そんなに黄金バットになりたかったなんて
覚えてないよ
あなたの小さい頃の夢は
作文ウケるよね