富士霊園 | うさぎのみかんとチョコ様の徒然日記

うさぎのみかんとチョコ様の徒然日記

先代うさぎのみかんとの二代目ウサギのチョコとの生活や趣味のバイクのことなどユルく綴ればいいなと思います。

本日の第一目的。

ずっと行けてなかったお墓参り。


07:25東急インをチェックアウトし、

静岡駅から沼津駅へ移動します。


こっちはICOCAではなくて

TOICA、Suicaなのね。




沼津から御殿場線に乗り換えて

駿河小山へ。

雄大な富士山を見ると

アガりますなあ

( ´ ▽ ` ) 日本イチの〜やま〜♪


車窓から望む富士山




駿河小山から霊園行きのバスに

乗ります

結構、仏花を携えた

お参りにいく人達がバス停に

並んていたよ。






富士霊園は富士スピードウェイの

近くにあります

本日は80ミーティングが開催

されておりました。




富士霊園到着。


霊園内は広く、勾配もあるため

巡回バスが出ています。

ご先祖さまのおわすところは

ばらの18⚫︎⚫︎


無事、手を合わせて

じいちゃん、ばあちゃんの近況を

お伝えすることができました。

富士霊園は月に3,000円位の

管理費が掛かるのですが


お花も定期的に供えて頂けており

とてもキレイにしてもらって

おります。




富士スピードウェイからであろう

エキゾーストノートが遠くから

聞こえてきます。


天国も良く絶好のお墓参り日和と

なったのではないでしょうか。


大じいちゃん側から見える富士山

第一ミッション完了

バス停に戻ります。


ありゃ?

降りたバス停のところに

取水所がなかったので

とりあえず手を合わせとけば

いいやってしてたけど


バス停に取水所の場所が

書いてあった。


水組んで再度

手を合わせに行きます。


家族LINE


墓誌

子供のころは

何が書いてあるかも

気が付かなかった

墓誌


1番左は

観覚正応信士

昭和471月没

享年78

じいちゃんの施設にお移り頂いた

大じいちゃんです。


1番右は

昭和203

澄子 享年20

敏子 享年15

と、あり


これはきっとじいちゃん

(チョコ父のお父さん)の

妹さん達ですね。


終戦の半年前に亡くなって

おられるので

東京大空襲で他界されたものと

思われます🙏🙏🙏🙏合掌。



【東京大空襲】

昭和20(1945)初頭より、

日本各地では本格化した空襲により

被害は拡大し、


4月に米軍の沖縄本島上陸、

86日には広島・9日には長崎に

原子爆弾が投下されました。


 そして815日の「玉音放送」により、

国民は戦争が終わったことを

はじめて知らされました。




ところで

下世話な話題ですが

お墓って結構な

お値段するのね



シリアスモードは

保って1分なのよ orz