今日は北里大学病院へ。
出産の時に回旋異常で息子の眼に鉗子があたり、白濁してしまった件。
最初は真っ白だったけどだいぶわからなくなってきた。
まだ色彩など成長過程だろうけど、最近人の判別もつくようになったし、かなりいろんなものが見えてきた模様。
半年(生後6ヶ月)から急激に視力ができあがってくるらしい。
その時に、白濁部分がどの程度視力の邪魔をするか、、視力が上がるか下がるか。。。
片目弱視ならば、早めに見える方の眼を隠したりして、弱い方の眼を使うという事をする。
最初に北里受診したのは生後5日目で、名前は決めていたからいいものの、出生届もだしていないまま産婦人科から直行したのがもう懐かしい。
あの時はまだ産後間もなくて、テンションだか血圧だかが高くて、情緒不安定でなんか夢の中にいるような感じだった。
今はひとつずつきちんと落ち着いて考えられるようになったけど、
眼も、もしかしたら耳も、私のせいで・・・ごめんねっんなんて泣いて謝っちゃったり。
でも、子供からしたら、そんなの母親のせいじゃないし何のせいでもないんだよね。
謝るなんて私の自己中心的な想いだし、息子からしたらいい迷惑よね。

どこまで見えててどこまで聴こえてればOKなんて、親の勝手な線引きを子供に押しつけちゃいかん。
人間なんて十人十色だからいいんじゃない、授かった命を他人のものさしではかっちゃいけない。

私的には心配は心配でしょうがないけど、マイナスじゃなくてプラスに持っていこうとおもう。
まぁ気になってしょうがなくて、生後1ヶ月頃からひたすらいろんな色のおもちゃをみせたり、あやし方を試したりして、多分生後4ヶ月にして人より意識的に遊んでる時間が長いと思う。
だから新生児訪問でとにかくあやすとよぉく笑ってた息子をみて表情が豊かだねって言われて本当にほっとしたってか、恥ずかしながら親バカだけど嬉しかった。
もっともっと、できるだけ多くたくさんのものをみせて、聴かせて、触らせて、いっぱい感じさせて行こうって思った。

眼の事がなかったら、もちろん普通には遊んでたけどもしかしたらここまで意識的には遊んでなかったとおもう。



そんな風におもうのは、家族のおかげ。
私も耳が先天性難聴で人には気づかれにくい程度だけど、
やっぱりコミュニケーションがとりにくいと感じた事がたくさん今まであった。
それをどうやって消化して上手く乗り越えていけばいいか、
最初は自分がなにが苦手なのか、わからなかった。
聞き返してばかりいるのも億劫だし、大勢いる中での話は聞き返せないし、
話について行けない事が多くて、人と話すのが嫌になった時期もあった。
子音が聞き撮れにくいと自分でわかるようになってから補聴器も試したりして色々やっても、
それでも大事な会議や講義が聞き取れなかったり。
全く聴こえないんじゃないし、甘いかもしれないし、仕方ないのはわかってるんだけど、
ただ人とコミュニケーションとれないのはやりきれなくて。
いつのまにか「うんうん」って笑ってうなずいて聴こえてるふりしちゃうことも多かったり。

でもいつかの妹の一言、今でもよくふと思い出す。
「みきは大変だよね、私は補聴器つけてるからみんなにわかってもらえるけど・・・」
その時はまだ私に合う補聴器と出会っていなくて、私より聴力が弱い妹に言われて、なんだか変に感動(笑)をした。
というか私より自分の状況をちゃんと理解して消化してるんだなと思った。
聴力が弱いという事は、耳に入ってくる言葉、情報も少ないということ。
眼も一緒だけど、聴力が弱いと言葉を覚える過程でやっぱり聴力がある程度ある子よりは不利なわけで。
妹は小さな頃にST=言語聴覚士にかなりお世話になっていた。とおもう。
この頃はまだSTなんて知られていなくて、国家資格もなくて、手探り状態だったとおもうけど、
私からみていても、それがすんごい楽しそうだった。
いろんなおもちゃや知育道具を使って、“ことば”のおべんきょう=コミュニケーションのとり方を1対1でたくさん実践してきていた。
そうやって母親がいろんな所の聴力専門の病院や教室を探しまくって連れていってくれていた。
もちろん、妹は妹なりに悩みもあったと思う。
でも、あのゆったりとした余裕(天然?)さを持ちながら、突然(時々だけど)でてくる、妹の言葉での表現力には私はかなわないと今でも思う。
(でもみんなが知ってる事知らなかったりするけどw)
歌うととっても音痴だけど、そういう妹の得意な言葉の表現はどっちかっていうとわざとらしさが全くない芯の通ったやわらかい音みたいな感じ?(←“私だけ音楽やってない”っていじけてる時あるから、音楽でフォロー笑)
たまに本音で耳の事を話す妹とのやりとりが楽しかった。
んでもって、そうやってコミュニケーションとることで、私も余裕ができて気持ちが楽になっていった。



自分の中でどう捉えるか、それをどうつきあってくかが問題であって、
誰のせいだとか、もっと聴こえればよかったと思った事は一度もない。
聴こえたいというより、コミュニケーションとりたいという欲はもちろんある。
どんな障害であっても、聴力が弱くても、全く問題ない聴力でも、
結局はコミュニケーション力をどう育てていくかによって、またそのコミュニケーションによっていろんな愛を与え与えられて、人は幸せになるんだよね。
やっぱり障害は絶対ないほうがいいとは言いきれないとおもう。


割と今まで環境には恵まれてたんだろうな。
というのも、母親がそうゆうふうに道を作ってくれていたんだなと、
親になった今、つくづく思う。。。


ただ、眼のこともあって息子とコミュニケーションとることに本気になりすぎてて、最近忙しいとーちゃんとのコミュニケーションちょこっと減ってないかしら・・・
ホントは喧嘩したいんだけど、けっと思ってもそんな余裕もなくて。うんうん。
人間、余裕がないとダメね。
そろそろ喧嘩売ろうかな!!


なんだかどこに話がいくのか、、、おちはないよ。
ただ、育児をしている今、STっていう専門家を思い出しただけ!
これは絶対今から使えると思って・・・
そう、今日北里に行ったついでに私の年1回の難聴外来、ここ数年さぼっていたけど、
やっと予約をいれました!!
出産報告、息子の相談もかねて、来週また行ってきます。