お産は本当に十人十色。1000人いたら1000通りのストーリーがあがってくるんだろうな。
安産、難産、色々あるけど、間違いなく私は難産だったらしい。
自分じゃ初めての経験でどのくらいの難産かわからないけど、毎日変わる助産師さんが私のカルテをみて「川崎さん!!!大変だったね~」とわざわざ廊下でも声をかけていただいたほど…
この2012年11月2日の出来事を忘れないように記録しておきたいとおもう。
けど、出産を控えてる人は、出産が終わってからぜひ読んでいただきたい。。
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妊娠して切迫流産&早産気味からのながーい安静生活が解除された後、突然の運動令。予定日の10月28日まで待つとでかくなりすぎちゃって難産になるから早めに産みましょう!!との事。毎日2時間歩いて、家中雑巾掛けして、それでもなかなか陣痛がくる気配はなかった。そして迎えた予定日。結局計画分娩?にしましょうということで31日に入院して促進剤をうつことに。

《10月31日》
8:30に入院、10:00診察でメトロというバルーンいれようとしたが、既に子宮口が微妙に4cmと開いていた為にバルーン使用不可。お決まりの超痛い内診グリグリをうけた直後に大量破水、10:30促進剤点滴スタート。同じスケジュールで促進剤入院したママは2人いたけど、お昼すぎには2人とも分娩室へ。私はまだまだ余裕。薬はあまり効かなかったみたい。
そしてその後もその間に陣痛室では後からきたママがどんどん入れ替わり立ち代わり新たな命を産んで行く。産まれていくのよね。焦るなぁ。夕方やっと定期的な張りが起こるが、17:00診察時にこの日の促進剤点滴は終了。。
べべおよ…ハロウィンに誕生かと思いきや、出てくる気配がなかったね。お腹の中はそんなに居心地いいのかな?でもだいぶ破水してて窮屈じゃない?


《11月1日》
促進剤を打ち始めて2日目、マイペースなべべおは何故だかお腹の中で右によって全然降りてこようとしてくれません。2日目は朝の診察後から薬もどんどん濃度をあげて夕方17:00には濃度MAX120まで。さすがにちょっと痛い。時計とにらめっこ。午前中で5分間隔軽め、午後から2分間隔でうおーっ程度の陣痛がくる。これはいい感じじゃないの!?って思ったけど、でもなんだか更にお腹の形が偏ってる…そんなに右が居心地いいの?夕方の診察でまだ子宮口6cm開いてる位というところで2日目も促進剤点滴終了。
べべおよ、そろそろ降りてでてこないかい?破水してるので、6時間に一度抗生剤飲んでるけど、ここで更に抗生剤の点滴。診察終了後、やっぱりあの激痛はどこかへ行ってしまった。助産師さんに「やれることはすべてやってるのだから今日でてこなくてもそんなに落ち込まなくていいのよ、今日はご主人の顔みたらほっとして涙でちゃうかもね~」なんて言われて泣きはしませんよ~なんて話してたけど、そのあと夜ご飯をおもいっきりやけ食いして、その箸をおいた瞬間にきた主人をみて、なぜだかぼろぼろ涙がとまらない。ながーいお産になりそうだ。生まれる気配が本当になくて、不思議と生まれてこないんじゃないかって錯覚起こしちゃう。そんなわけないんだからって周りに励まされ、少しうるっときちゃった。


《11月2日》
そして入院3日目。大量破水し始めて3日目、促進剤打ち始めて3日目。さすがに今日がリミット。破水してるせいで、私の血液検査から少し炎症反応がでてきてるとのこと。あかちゃんへの感染症が心配でまた朝から泣けてきた。お昼か夕方か、どこかで自然分娩か帝王切開かの先生の判断がでることに。気合をいれて、NSTテスト、つまりあかちゃんの心拍数と陣痛の度合いを調べる機械とまた一日にらめっこ開始。促進剤点滴始めた瞬間に5分間隔の張りがスタート。昼には2分半の陣痛に変わってきた。さすがに昼ごはん食べれない。しゃべれない。やっときてくれたこの痛み!!!あの内診グリグリ(10回以上うけてる)よりは全然耐えられる。唯一お産が進んでる証拠だから!陣痛よもっとこーいどんどん痛くなれ!!なんてMみたいだけど、本当に思った。そして3時すぎに遂に念願の「分娩室へ」とのお声かけ!!!そこからが壮絶だった。


15:00過ぎ頃、分娩室へ移動。子宮口が固いからと注射2本うっても、陣痛がきても、あかちゃんがなかなか下におりてきてくれない…しまいには赤ちゃん反対に回り出しちゃったよ!!!だからか陣痛が弱くなってきちゃった。助産師さんが今回のお産はお手伝いが必要かもねって…

あぁあれか!

そして早速一度いきむ練習からスタート。「顔じゃなくてお腹に力を入れてーっ」「声出すと力漏れちゃうから耐えてーっ」「私がお腹をおもいっきり押すから跳ね返らせるようにお腹に力いれてーっ」と助産師さんが教えてくれた。既に超いたい。もちろんまだまだ出てくる気配ない。そして本番スタート。練習どころじゃない!!助産師さんの押しが半端ない!いつからだか先生は器具を挿入してる!鉗子分娩とお腹を押し出すというお手伝いってやつだ!!!そこで外来でいつも診てもらってたもうひとりの先生が病棟の日じゃないのに外来からかけつけてくれた!!体格のいい先生がふたりと勢いのある助産師さん…陣痛がきたところで、おもいっきり刺激して鉗子で引っ張ってもらい、私のお腹には台にのっかった二人が骨というか体折れるんじゃないかという位、お腹を押して、私はひたすら押される腹に抵抗するようにいきむ。いきむとかそんなレベルに感じなかった…押しに耐えるのでいっぱい。正直殺されるかと思った。それを休む間ほとんどなく何度も繰り返す。その裏では緊急帝王切開の準備が進められていたらしい。先生や助産師さん、命がけでやってくれたんだって終わってから感じた。でも最中はもう一度やったら本当に自分死んじゃうんじゃないか、体全部粉々になっちゃうって思った。最後は私はもう体が全部裂けてもなんでもいいからでてこーいと心で叫んだ。その瞬間はいご主人入って!と一枚扉の向こうにいた主人が入った瞬間に“ぽろっ”といった。次の瞬間おぎゃー。酸素マスクしてる私はまだ興奮してわけがわからず、呼吸がみだれうなりつづける。会陰切開というか裂けた所を縫いながら、先生にもう終わったよっていわれてるのにうなり続ける私。意識朦朧としながら櫂士と初対面。お腹がいたくて痛くて、正直その時はまだ実感なかった。終わったあとも私はもう無理~とずっと叫んでいたらしい。二度とこの経験はできない(しんじゃうかも)と本気で思った。もちろん、先生たちを信頼してたけど、でも明らかによくテレビなど画面で見る分娩室の雰囲気とは全くちがって、私はもちろん、先生たちも必死で、立会いなんてする隙間もない位、凄まじい光景だった。


2012/11/2 17:11櫂士誕生!!!


通常は、分娩後2時間くらい経過をみてから部屋に歩いて帰るらしいが、私は出血も多めでかなりダメージを受けていたために一晩そのまま分娩室で過ごす事に。もうお腹の臓器、組織、皮膚、すべてめちゃくちゃになってるように感じた。初産はあまり後陣痛を感じにくいというけど、私の場合産道にかなりの負担がかかったせいで初産でも痛かった。それよりなにより、お手伝いいただいたあの“お腹の押し”。。。もう夜中に経過診でお腹を触られただけで実際本当に絶叫するほどいたくて外側見た目もアザだらけになってた。妊娠線についてはすごく気をつかってクリームぬりぬりして助産師さんに褒められるほど綺麗なお腹だったのに、分娩前の3日間に促進剤うちながらNSTの機械をずっとつけてた跡と、分娩時に押されたアザや引っかき跡で、本当に残念な状態になってしまった。そんなのはどうでもいいけど、どこが痛いか、なにがどうなってるのか、わけわからないが、とにかく動けない!!
11/3、昼前にやっと個室へ車椅子で移動。お昼をどうにか食べて、午後あかちゃんと部屋でご対面。その時に初めて、『この子を命がけで産んだんだ…』と実感した。




鉗子分娩、、、でてくる直前になってあかちゃんが斜めに降りてきてしまった為に、鉗子が頭ではなく、目のほうかかってしまった。そして陣痛が弱い体質だった私。痛々しかった鉗子跡はだいぶ腫れもひいて少しずつ薄くなってきたけど、目が少し白濁している。退院日に直行で紹介状書いてもらって大学病院へ行ったけど、今は経過をみるしかできないとのこと。白いのが消えるかもしれないし、弱視になるかもしれない。そして私自身ももってる先天性感音性難聴の疑い。とりあえず、どっちも右眼、右耳は大丈夫そうだ。それぞれ経過をみながら、一番ベストな方法を探りながら、ケースバイケースで私が守っていくしかない。
最初は不安やら心配やらどこにぶつけたらいいかわからなかった。もし、帝王切開にきりかえていたら…なんて考えてしまったりもした。でもなにのせいなんて、いいきれないし、過去を考えてもなんにもならない。ただ間違いないのは、この子を命がけで産んだって言い切る事ができる。だからこれからも命がけでこの子が充実した人生を送れるよう、支えていくだけ!!!
でも基本的な体力はかなりある模様。よく飲んで、そしてよく寝てくれる。おかげで動けない私の体でもなんとか今のところひどい寝不足にはならずに済んでいる。足癖はわるく、すぐにでも寝返りうつんじゃないかって位、すごい力で体をねじる。そして1日1回は男の子特有のおしっこ攻撃の洗礼をうける…時にはおむつをはずした瞬間に自分の顔直撃してぎゃん泣する櫂。体はきついけど、みてて飽きないし、周りの助けや愛情もあってなんとかやっていけるかなというところ。あとは私の体が問題…