こんばんは

 

昨晩の記事終盤で青葉山のお話をすると予告しました。

 

今宵のお題は十年程前の私が覚えた感動です。そういったことで学生の時分、仙台周辺で地質調査をしていましたが、その時にみた資料の中に、青葉山が元々河岸段丘だったことをわかりやすく示した資料がありましたので、それに関連する主なランドマークを書き込んで以下にお目にかけます。

 

素の図は仙台市史です(勾当台公園が段丘崖を跨いでいることも記述されています)。こうしてみると、政宗公は見通しのきく広い平坦地を上手く選んでお城を建てた訳ですね(もっとも当時は飛行機などありませんでしたが、340年後に高い所で目立つのが災いして空襲で焼失してしまいましたね…)。

 

さて、そもそも何故青葉山が高いのかということですが、上の図の凡例の一番上をご覧下さい。

そう、活断層があります。地図をみると何本かありますね。これらが活動を続けた結果、青葉山と今の仙台中心部の高度差ができ、見通しのきく山に政宗公がお城を築くに至った訳ですね。

 

そしてお城の西側には東北大学や宮城教育大学等があります。6年前の冬に仙台市営地下鉄東西線が開通しましたが、青葉山は大体西に行く程高い(古い)段丘上に色々人が使う土地がありますから、地下鉄と言っておきながら急勾配区間が続きます。

 

 

その地下鉄の青葉山側の終点は八木山動物公園です。地図の中では小さいですが、黒文字で「八木山動物公園」と書かれたうちの「八」の辺りから扇のように平らな土地が広がっています。そこへ行くとベーブルースの像が立っています(自前の写真紛失…)。

 

昭和9年に大リーグ選抜が来日し、沢村栄治らと勝負を繰り広げた時ですが、ルースの来日初本塁打が着弾したとされる場所です。上記の平らな土地の南西端で、扇の要からみて右側、ルースは左打者でしたから、引っ張ったのですね。扇形の土地は野球場の名残です。

動物園のビジターセンターに行くと八木山の歴史の展示がありますが、その野球場は戦時中の"敵性競技弾圧"や食糧増産のために畑に変えられ、戦後に動物園の移転先になったことが紹介されています。段丘として広い平坦地があったことでの土地利用変遷ですね。

 

私の勤め先の後輩で東北大学出身の子がいますが、地下鉄東西線のことを「青葉山登山鉄道」と呼ぶ学生もいるとか。東京辺りの地下鉄にはない趣ですね。