小山田遺蹟の保存について-その2
奈良県明日香村川原の小山田遺跡で、飛鳥時代中頃(7世紀中頃)の巨大な古墳の墳丘の一部と濠(ほり)跡が見つかった件で、今後の奈良県の方針について、昨日のブログの補足をしておきます。
濠は墳丘北側で東西方向に直線状に延び、長さ約48メートル、上部の幅約7メートル、深さ約1・2メートル。底部と北側斜面は川原石で石貼りが施されている。
南側では、板石状の榛原石の切石(長さ30~40センチ、幅約30センチ、厚さ約5センチ)などを階段状に積んだ墳丘の一部(計10段分)が見つかっている。
下記の写真のとおり、すでに取り壊したの建物の基礎があったところは遺跡が壊れているので、その部分(石の貼りがないところ)に新しい校舎の基礎を打ち込むとのことです。
濠は墳丘北側で東西方向に直線状に延び、長さ約48メートル、上部の幅約7メートル、深さ約1・2メートル。底部と北側斜面は川原石で石貼りが施されている。
南側では、板石状の榛原石の切石(長さ30~40センチ、幅約30センチ、厚さ約5センチ)などを階段状に積んだ墳丘の一部(計10段分)が見つかっている。
下記の写真のとおり、すでに取り壊したの建物の基礎があったところは遺跡が壊れているので、その部分(石の貼りがないところ)に新しい校舎の基礎を打ち込むとのことです。