広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第59回】 宇都宮と平畑静塔 セクトポリテック2023/2/3

栃木市巴波川(うずまがわ)

宇都宮市は、関東平野の中北部に位置し、東京より北に約百キロの栃木県の県庁所在地。古代は下野国、奥州街道の宿場町で、江戸時代には、徳川家康を祀る日光東照宮も近く、譜代大名が知行した。夏は雷が多く(雷都)、冬は「男体颪し」で寒さが厳しい。市内は二荒山神社、宇都宮城址を中心に広がり、内陸型近代工業の街で、「餃子」も名高い。西方の大谷は大谷石、南方の旧石橋町は乾瓢で知られ、県名にもなった観光地栃木市は、南西方の商都であった大谷観音

徐々に徐々に月下の俘虜として進む 平畑静塔

「現代俳句」昭和22年5月号掲載後、第一句集『月下の俘虜』の「上海集中営」(十八句)連作に収録の句集名となった代表句。 「無用の徒は、静かに己れの国に帰るべしが、この句の底に残っている」と自註にある。

 他に〈武器を地にね木犀かぐはしき〉〈俘虜貨車の日覆はためき疾走す〉もあり、下野市の霊苑に句碑がある。平畑静塔句碑(写真提供:星野乃梨子氏)

「俘虜の集団は、月光に照らされ浮び上がる黒い塊として描かれ、その根底には諦念にも似た絶望がある」(田中亜美)

「歩む姿が悲愴であると同時にある種の美しさを湛えており、皆受難者のように見える」(兼城雄)大谷石採掘跡

★古庭に鶯啼きぬ日もすがら 与謝蕪村

★万緑の中さやさやと楓あり(多気不動) 山口青邨

★男体山どかつと据ゑて稲穂波 星野乃梨子

★干瓢乾し村に白雲殖やすごとし 大串 章

★石切の奈落百丈春寒し 今井つる女

★罌粟の昼切り出す石のどれも青し 加倉井秋を

★栃木かな春の焚火を七つ見て 西村麒麟   平畑静塔は、明治38(1905)年、和歌山県海草郡和歌浦町生れ。旧制和歌山中学より三高を経て大正15(1926)年京都帝国大学医学部に入学後「京大三高俳句会」に入り、「京鹿子」「破魔弓」「ホトトギス」に投句。

 昭和8(1933)年藤後左右らと「京大俳句」を創刊し、山口誓子らを顧問に迎え、西東三鬼らの登場で「新興俳句」の一大拠点となった。が、同15年の所謂「京大事件」で静塔も治安維持法違反で検挙され執行猶予となり、俳句から離れる(「京大俳句」廃刊)。

 精神病医として病院勤務後応召され、南京陸軍病院に勤務中に終戦を迎え俘虜となったが、同21(1946)年帰還し、大阪女子医専教授に就任。三鬼の熱心な復帰勧誘で、誓子を掲げ「天狼」編集長として創刊に関わった。旅館日吉館での誓子、三鬼、橋本多佳子、右城暮石等の伝説の「奈良句会」が知られる。

 同26年にカトリックの洗礼を受け、「俳人格」説(馬酔木4月号)で「俳句性の確立には俳人自身の俳句的な人格の発展と完成が必要」と説いた。

 同30年、誓子の序文の第一句集『月下の俘虜』を刊行した。49歳と遅い出発だったが、「飯田蛇笏氏は48歳だったと述べ、後年の「大器晩成」ぶりの片鱗をみせる」(川村杳平)。

 同37年、宇都宮に移住し、「宇都宮病院」の顧問となり、俳句観も作品も在来のやや知性中心の面が次第に野趣を帯びて来たと後日述懐する。

 宇都宮に来てより、同46(1971)年、句集『栃木集』他にて第5回蛇笏賞、同61年には、『矢素』にて第一回詩歌文学館賞、平成7(1995)年には、現代俳句大賞を受賞した。 「宇都宮病院事件(不祥事)」で、再度院長に復帰後、同9(1997)年逝去し、葬儀は無宗教形式。享年92歳。 句集は他に『旅鶴』『壺国』『漁歌』『平畑静塔全句集』、評論『俳人格 俳句への軌跡』『平畑静塔評論集』がある。平畑静塔墓所(写真提供:星野乃梨子氏

「俳句の汎神論的世界観と一神教のキリスト精神は相容れず、その最高の課題であるべき「カトリック的人格」の完成と静塔の言う俳人格とは矛盾しているのではないか」(山本健吉)

「静塔俳句の中に、キリスト教的な要素を過大視するのは禁物である」(四ッ谷龍)

「戦地にも携えたドイツの哲学者ヤスパースの概念・「限界状況」(人間が避け得ない根源的な状況=死や苦悩、二律背反等)を見つめ、寄り添いつつ生きた静塔の人と言葉の軌跡を学ぶべきである」(田中亜美)

「俳人であり、キリスト教徒であることに加え、科学者であり、院長であるという分裂も抱えていたが、〈一縷にて天上の凧とどまれり〉の様に自分を保つしなやかな強さを持っていた」(兼城雄)

「生まれ育ち、学び、俳句界や医学界でも地盤とした関西から夫人と共に宇都宮に移住したのは、それまで蓄えた文化、自ら磨き上げた句の世界を捨てることだった」(石川文之進)

「「京大事件」の挫折や三鬼との出会いと死別があったからこそ、その後の深みと屈折と栃木の地の野趣ある作品が生まれたと言えよう」(広渡敬雄)

滝近く郵便局のありにけり

★海苔舟をつなげる松や玉津島(静塔の原風景)

★終電車手に青栗の君を帰し

★帰還兵語るしづかな眼を畏れる 

★葡萄垂れさがる如くに教へたし

★我を遂に癩の踊の輪に投ず(長島愛生園)

★藁塚に一つの強き棒挿さる(静塔の根源俳句)

懺悔せず修道院の樹をつかむ 

★蛍火となり鉄門を洩れ出でし

★狂ひても母乳は白し蜂光る

★足袋の底記憶の獄を踏むごとし

★雪片と耶蘇名ルカとを身に着けし

★初蝶の喜色たらたら精神科


紅葉せり何もなき地の一樹にて


★なき母の声あかぎれの割目から


★稲を刈る夜はしらたまの女体にて


もう何もするなと死出の薔薇持たす(三鬼の死)


下り簗青竹の青流れ去る


★鳥銜へ去りぬ花野のわが言葉


★青胡桃みちのくは樹でつながるよ


★壺の国信濃を霧のあふれ出づ


★座る余地まだ涅槃図の中にあり

箱根改め雪女脱ぐものを脱ぐ

★焚火の輪一人抜けしをつながざる

身半分かまくらに入れ今晩は(横手にて)

陶枕やのこる命の夢まくら

花見する歩みゆくほど遠くなる