4/29長崎新聞「短歌はいま」

豊潤さと充実を表す「草の譜」など
           大松達知

 中堅からベテランの近刊を紹介する。


▼香川ヒサ「The quiet light on my journey」(ながらみ書房)


 第9歌集。社会の事物に裏側からの光を当ててきた作者。端的な用語で社会や世界の滑稽さや矛盾を突く。


★駅員が改札横に立つてゐる自動改札助けるために

★肖像画に一人の顔は描かれて何千万の顔に見られぬ


 理屈から詩を立ち上げる独自の力業は健在だ。 


▼黒木三千代「草の譜」(砂子屋書房)


 第3歌集。30年ぶりの歌集刊行。


★足の爪乾いて割れる壮年を知らざりし知りえざりしわが 父(亡父への恋歌)


★とことはにまたあたらしくきみを恋ふ老いて病んでも尖塔だから(かつての知己に向けた歌)


 多くの人たちとの関わり中に、自分の時間がたしかに刻まれているのだ。 


▼鈴木美紀子「金魚を逃がす」(コールサック社)


 第2歌集。軽やかな大人の恋を描く。


★何回もドリンクバーに向かう背を見てはいけないもののように見た

★本編に関係のない夕ぐれを瞳はワンカット長回しで撮る


 どこか冷めた視線の中にひそやかな憤懣(ふんまん)が隠れているようだ。 


▼吉村実紀恵「バベル」(短歌研究社)


 第3歌集。30歳で歌を離れ、40歳で復帰した作者。男性中 心組織の中での、女性としての息苦しさを敏感に感じ取る嗅覚がある。それを生き生きとした言葉で紡ぐ。


★おまえではマネーの話はできないとどこまでもその語気はやさしく

★いまだ子をなさぬ女の体温に胸をあずけて眠りゆくひ と

★一度きり抱いてくれたら砂になる世界でいちばんきれいな砂に


 恋歌にも言葉が躍動している。


▼渡英子「しづかな街」(本阿弥書店)


 第5歌集。明治から現在までの文学者への強い思いがあ る。またかつて住んだ沖縄などへの、いくつかの旅の考察も深い。 


★この島を華麗島とうたふ白秋の夢のつづきのやうな夏月(台湾での歌)。

★戦火ののち再び芽吹いた樹を指して首里びとは吾(あ)に教へたまひき(沖縄での歌)


 歴史を視野に入れた知的な大人の歌集。


 それぞれ特徴的な女性歌人の歌集。若手中心の短歌ブームの背後にある、現代短歌の豊潤さと充実を表す5冊である。 (大松達知)