俳句は一般に、有季定型(17音と季語)だ。では、決まった表現形式の中で、俳人のスタイル、個性とは何に表れるのだろう。
言葉の発想力が個性的な人もいれば、助詞の選択や句切れの作り方といった「文体」に個性が出る人もいる。
▼井上泰至「俳句のマナー、俳句のスタイル」(本阿弥書店)
は、俳句の文体を主題に据えた労作。
助詞の「や」「かな」「に」「の」など、古今の例句を引いてその効用を文法的観点から読み解く。
本書の特色は、文語文法や有季定型の形式を、硬直したルールではなく、より弾力的な礼節やマナーと捉えること。
ただ、文語文法や季語の現代的意味合いが、俳諧時代の季語の役割(挨拶)と同じ意味で礼節なのか、俳句の正統/異端をマナー (礼節)の観点で対比すべきかどうかは、議論が必要になりそうだ。
▼高橋睦郎「花や鳥」(ふらんす堂)
は、他の追随を許さぬ知識量と言語感覚の上に、俳諧自由を謳歌する。
★姫始阿のこゑ高く吽低く
★蟻の聲出す人と見る蟻地獄
★絶滅の虱拜まん古褌
「姫始」は新年最初の性交渉のこと。「蟻の聲」を調べてみると、ハキリアリは「キョ」とか「ピュッ」と鳴 くらしい。「古褌」は何をか言わんや、笑ってしまう。
★black hole そも自らに吸はれなば
★戀なべて泥うたかたと業平忌
★後の月その後朝の捨尾花
無季句や「泥うたかた」「捨尾花」の造語的な言葉遣いも、こなれていて自然。ルールやマナーで測り難い世界だが、一方で
★弓爾乎波(てにをは)の弓と波大切初懐紙
と安易な「て留め」を戒める。俳句の特性を突き詰める態度が、強烈な個性を現出させているようだ。
★籟初のおこるや天の冥きより
★梅ちるやとうんとうんと晝の波
一見読みやすいが、言語化し難いものへ迫る難解さがある。それは詩歌そのものの本質でもあろう。
世界の詩歌という観点から見れば、有季定型も日本語もローカルだ。高橋の仕事は、ローカルなものを垂直に掘り下げる態度によって、個性的にして普遍的な作品へと到達する道があると教えてくれる。不易流行(絶えざる自己更新において現れる普遍性)の「流行」を、ローカルなものと置き換えてみると、日本語、季語、韻律等にこだわる意義もまた違ってくるかもしれない。(浅川芳直)