広渡敬雄とゆく俳枕の旅【第53回】秋篠寺と稲畑汀子 セクトポリテック 2022/10/21
★一枚の障子明りに伎芸天 稲畑汀子
平成元年作、第四句集『障子明り』に収録。「暗闇に目が馴れると足許の一枚の障子から差す雪明りが、伎芸天の豊かな頬を浮き上がらせて何とも美しかった」と述べ、近々虚子記念文学館に句碑が建立される。
「流れるような調べに乗せて、光と影が見事に交叉する美しい世界があり、遂に対象を一体化した作者が、そこにひそと佇んでいる。まるで能の世界」(岩岡中正)
「主観的な感動を抑制し、その美しさ、魅力を一言も言わず「障子明り」に託し、客観写生に徹した」(寿限無)
★東門は少し小さく萩も咲き 高野素十
★馬酔木咲く金堂の扉にわれ触れぬ 水原秋櫻子
★一燭に春寧からむ伎芸天 阿波野青畝
★女身仏に春剥落のつゞきをり 細見綾子
★伎芸天在しまさねど春去りぬ 日野草城
★春寒の闇一枚の伎芸天 古舘曹人
「汀子俳句の共通の分母は、対象に気楽に取材し、発想を気楽に捉える」(藤田湘子)
「汀子俳句は、対象を静止相で捉えず、生動状態、動の相で捉えるが、この特徴は生得の詩質に加え、俳句作家としての強い志操と熱い挺身による面も大きい」(友岡子郷)
「汀子は大きなものにたじろがぬ生来の恰幅の良さがあった」(宇多喜代子)
「人間の喜怒哀楽を季題に託して描き出すのが、花鳥諷詠。汀子の描く世界は広く、俳句という文芸の表現能力を開発し続けた」(大輪靖宏)
「基本的に『奉仕の人』で、一切を諾う『肯定の文学』」(岩岡中正)
「敬虔なカトリック信者ながら東洋的なアニミズム的思想にも傾倒し、森羅万象に霊魂が宿ると捉えていた」(山田佳乃)
「虚子・年尾を引き継ぎ、百二十有余年日本の俳句界をリードしてきた「ホトトギス」を、「花鳥諷詠」「客観写生」という確固たる信念で再興しようとした。伝統俳句の要としての存在感は抜群で、カリスマ性も有し牽引力があった。加えて、鑑賞能力に優れ、評価の正確さで多くの俳人を育てた功績は、これからも語り続けられるだろう。」(「たかんな」令和4年9月号)
★今日何も彼もなにもかも春らしく
★流れ来しものの中より水馬
★コスモスの色の分れ目通れさう
★落椿とはとつぜんに華やげる
★長き夜の苦しみを解き給ひしや(夫稲畑順三逝去)
★空といふ自由鶴舞ひやまざるは
★地吹雪と別に星空ありにけり
★雪沓の音が雪なき道あるく
★海見えて風花光るものとなる
★初蝶を追ふまなざしに加はりぬ
★鉾のこと話す仕草も京の人
★森抜けてゆく一本の冬木より
★道曲がるとき菜の花の列曲る
★洗礼の済みしみどり児風花に
★月の夜の光る芒となるべかり
★命惜し命惜しとて鉦叩
★淡々と冬日は波を渡りけり
★三椏の花三三が九三三が九
★小さきは小さく侍る雛かな
★まだ風の棲まぬ静けさ青芒
★福笑よりも笑つてをりにけり
★物置かぬことに徹して夏座敷
★稲妻の中稲妻の走りけり
★祈りとは心のことば花の下(震災句)
★東京を発ちたる仲間冬ぬくし(絶筆)