4/7の朝日新聞に掲載されていた「うたをよむ」は「桜の季節に」と題して、鳥居真理子さんが、飯島晴子さんの句集『春の蔵』を取り上げておられました。
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桜の季節が巡ってくると見慣れた一冊が私の手もとに置かれる。飯島晴子句集『春の蔵』である。
初めて手にしたのも桜花のほころぶ頃。読み終えたその時の言い知れぬ解放感と高揚感は今なお鮮明に記憶に残る。以来二十有余年。いつしか私だけの年中行事のように繰り返されている。今年もまた、窓辺の満開の桜に誘われるように頁を開く。
★春の蛇座敷のなかはわらひあふ
★鶯に蔵をつめたくしておかむ
★春の蔵でからすのはんこ押してゐる
ひんやりと紗(しゃ)のかかる春の光を感じる作品群。現実の明るい春の光よりもさらに眩しく、そして仄暗い。まさに蔵の窓から差し込む春の光である。
一句目で、その光は「座敷のなか」にも迷い込む。高らかに響き合う母娘らの笑い声。それも束の間、座敷の景は恐ろしく静かな空間に一変する。「春の蛇」の存在が妖しくも美しい。
二句目。蔵の方に向きを変え鳴く鶯。ふと手にふれたつめたい夕桜。
三句目。蔵の外は春爛漫の桜吹雪。幽かな光を背にして、からすのはんこを押すとは、何と不思議な光景だろう。
三句ともに一瞬の光のような景だが、その実、物語にも似たたおやかな時間を秘める。それはやがて読み手だけのものとなり、愉悦のひとときが訪れる。
「短くて完結する俳句という詩型は、言葉が言葉になる瞬間の不思議さについて、思いを誘うものをもっている」。晴子著『俳句発見』の一節に俳句の醍醐味を探るヒントが見える。
桜と『春の蔵』と私をつなぐ良縁はまだ絶やせない。(「門」主宰)
【飯島晴子さん】
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「過程は写生なのだが、結果がそう見えない句」を目指し、作句前に吟行をしないと俳句が出来ないと、自然と人間の生活が必然的に交じり合った普通の農山村である山梨県・上野原や秩父等での一人吟行を続けた。ホトトギス派俳人とも交流し、「言葉が言葉になる瞬間は、無時間であり、従って無意識である」と述べた。
★箱庭の草心外にそよぎをり 『春の蔵』より
★狡猾に波立つてゐる冬の池
★人とゆく野にうぐひすの貌強き
★親友や螢の池をあひへだて
★大章魚を愁のごとくさげてをり
★月光の象番にならぬかといふ
【鳥居真里子さん】1948年東京都生、足立区在住。1987年、鈴木鷹夫の「門」創刊とともに入会。1997年、「かくれんぼ」30句により第12回俳壇賞受賞。同年に坪内稔典の「船団の会」入会。2003年、第一句集『鼬の姉妹』により第8回中新田俳句大賞受賞。その後の句集に『月の茗荷』がある。俳壇賞選考委員。
※いずれも難解句。私(すえよし)なりに感じたことを↓に書きました。
★春の蛇座敷のなかはわらひあふ
季語は「春の蛇」(つまり「蛇穴を出づ」)。この蛇はひさしぶりの世間にぼおっとしている。その「春の蛇」と座敷のほうからにぎやかな笑い声との取り合わせ。作者はその時、何らかの孤独感みたいなものを感じていたのだろう。「春の蛇」は作者自身。蛇に作者の気持ちを託した句は珍しいかもしれない。
★鶯に蔵をつめたくしておかむ
字面から、鶯のために鶯が気に入るように蔵の中を冷たくしておこう。作者は、鶯は寒いのが好きだと思っているのだろうか。
★春の蔵でからすのはんこ押してゐる 蔵の中は薄暗くて不気味。そこで「からすのはんこを押している」と言う。「からすのはんこ」は謂わば遊び心で作った三文判。他には何も言ってない。いろいろな場面で、意外と誰しもやっていることかもしれない。考えてみると恐ろしいことかもしれない。
一周忌記念出版で、刊行委員会編。
第Ⅰ部は「黒田杏子のことば」で、本人の評文などを収録。
第Ⅱ部は「黒田杏子を偲ぶ」で、交遊のあった俳人や文化人らが寄稿。(藤原書店・3630円)
楠本奇蹄さん(41)の「触るる眼」(50句)に決まった。