俳句ポスト365、兼題「余寒」の回、中級者以上、木曜日「秀作」(10句)発表。

錆鼠の堀へ余寒の柳の葉 津島野イリス

 〜(夏井先生の選評全文。以下同じ)「錆鼠」は「さびねず」と呼ぶ色の名称(藍鼠色に白茶をまぜたような色)。寒の頃の暗さが残る堀の水。そこへ古い柳の葉が落ちていく光景でしょう。季語「余寒」が全ての言葉に及んでいくのが、巧みな作品です。


歩道橋半ばに供花や余寒の黄 いかちゃん

 歩道橋を上がっていくと、その半ば辺りに「供花」が置かれています。一体、この歩道橋でどんな事故・事件が起こったのか。最後に出現する「黄」の色が、一句の世界にぽっと灯されるかのような「余寒」です。


溶岩へ黒き波寄す余寒かな 冬島 直

 一読、桜島の海岸で見た「溶岩」が思い出されました。海にまで達した溶岩は黒く冷え、そこには冷たく黒い波が打ち寄せているのです。下五「~かな」という詠嘆によって、季語「余寒」がひたひたと広がってきます。


橋上の余寒潮流信号所 竜胆

 「潮流信号所」は、狭い海峡の複雑な潮の状況を示し、衝突や座礁を防ぐために置かれています。春の大潮の頃、見下ろす海峡の潮は刻々と変化していきます。「橋上」に吹き上がる「余寒」の風も感じられる一句です。


余寒なほニベアの缶のあをが好き 西村青夏@金カル

 「余寒」が去らない日。ふと目についたのが「ニベアの缶」です。冬の間お世話になったニベアの缶は、彩度の高い元気な「あを」。春のイメージカラーでもある青が、季語「余寒」の印象を明るくします。


側溝の蓋に角ぐむ余寒かな 磐田小

 「角ぐむ」とは、草木の芽が角のように出はじめること。「側溝の蓋」の隙間から、何かの芽がツンツンと出てきているのに気が付いたのです。何気ない日常の光景の中に、季語「余寒」を感知する。俳句とは、まさにこんな文芸なのです。


余寒なほ標本室の千の翅 仁和田永

 「余寒」の寒気は「標本室」の中にまで及んでいます。そこに収蔵されている蝶たちは、もう動かすことのできない羽を広げ、美しく展翅されています。「千」という美称が、静かな迫力として迫ってくる作品です。


受付に身を野晒しにして余寒 足立智美

 「身を野晒し」にしている「受付」って何?と一瞬思ったのですが、葬儀の受付かと合点しました。「野晒し」の一語が、心の陰影を想起させ、季語「余寒」が、しみじみと胸に迫ってくる作品です。


層塔の縮み心柱の余寒 トウ甘藻

 「層塔」とは、幾層にも重なった高い塔。「心柱」とは、寺院の塔などにおける中心の柱。乾燥によって収縮する巨大な柱の存在を通して、「余寒」という季語を感知しているのです。見えないものを見せる、渾身の一句。


おかんおとん余寒の空もありがとう いりこのにゃらつめ

 一体なんなのでしょう、この一句は。「おかんおとん」への素朴な感謝のようでもあり、心ならずも世を去る辞のようでもあり。季語「余寒」に託した複雑な心理が、助詞「も」に詰まっているかのような読後感に惹かれます。