ウクライナの俳人、ブラジスラワ・シーモノワさんの俳句。(監修は神野紗希さん)。

https://www.nhk.or.jp/minplus/0117/topic059.html

The bees don't hear air raid alert – the lindens' blooming.(警報や蜂に聞こえずリンデン咲く) 

「戦争は人間の頭の中、人間の生活の中だけで起きているんだと思いました。自然界にはそんなものはなく、ミツバチは空襲警報のことなど何も知らないようでした」(シーモノワさん)


 シーモノワさんが俳句に出会ったのは、14歳の時でした。尺八を演奏するなど、日本文化に強い関心を持ってきたシーモノワさんは、ロシア語に翻訳された松尾芭蕉や与謝蕪村の俳句に触れ、その奥深さに魅了されたといいます。それ以来、自然や何気ない日常の変化をテーマに、ロシア語や英語で句を作ってきました。It rained at night. A flower bed near the house is not the same as yesterday.(ひと夜の雨きのうと違う家の庭)

 シーモノワさんが私たちに見せてくれたのは、びっしりと書き込まれた創作ノート。これまでに作った句は既に700を超えているということです。一瞬の光景や、感情の揺れを記録する俳句の魅力を、シーモノワさんは写真にたとえ、こう語ってくれました。


「他の人が私の俳句を見て新しい解釈をすると、俳句はなんて多面的なんだろうと、いつも思います。私は感嘆させられる瞬間、立ち止まって愛でたいと思わせる瞬間、考えさせるような瞬間を句にしてきました。俳句は言葉の形をした写真のようです」(シーモノワさん)


 病気を患っているシーモノワさんは、年金生活を送る両親と共に、ハルキウで静かに暮らしていました。その人生を一変させたロシアの軍事侵攻。ロシアとの国境に近いハルキウは、昼夜を問わずにロシア軍の攻撃にさらされたのです。 

 砲弾が降り注ぐ中、シーモノワさん一家も一時、地下シェルターに身を寄せます。水も食料も乏しい地下での暮らし。新型コロナと思われる感染症にも苦しめられました。ただ、過酷な環境の中でも、シーモノワさんは芭蕉や蕪村の本を手元に置き続けていました。俳句に触れ、俳句を詠むことが、薄暗い地下生活での楽しみだったと言います

Japanese poetswith me in the bomb shelter In this stack of books.(我に俳句防空壕の本の山)

 軍事侵攻とともに街は戦争一色へと染まっていきました。これまで何気ない日常を詠ってきたシーモノワさんの句も、その空気とは無縁ではいられなくなっていきます。侵攻開始からおよそ1か月。長い冬が過ぎ去り、ウクライナの大地に遅い春が訪れた4月には、こんな句をしたためています。This spring even the trees are wearing military uniform.(迷彩の軍服を着て春の樹々)

「戦争が行われている国では何を見ても、文字通りすべてが戦争を想起させます。この春に見た緑の色は、私にとっても多くの同国人たちにとっても、迷彩色の軍服が連想されました。緑の葉っぱに覆われた木の姿にも、軍服の色を連想しました」(シーモノワさん)


 ハルキウの街で、初めて灯火管制が敷かれた夜のことも、シーモノワさんは俳句に詠んでいます。攻撃の標的にならないよう、照明が制限され暗闇に覆われた街。シェルターを出て、ふと空を見上げたシーモノワさんの目に飛び込んできたのは、満天の星空でした。軍事侵攻によって皮肉にも仰ぎみることになったその夜空の美しさに涙をこらえきれませんでした。With curfew, blackout. Never in my life have I Seen so many stars(灯火管制生まれてはじめて見た銀河)


 長引く地下シェルターでの暮らし。シーモノワさんは、そこに身を寄せる人々の不安定な心情も句にしています。

Weeping women’s heads Colored by the roots sprouting Under their hair dye(染め髪(がみ)の根元伸びたり泣く女)

「『染めた髪の根元が伸びた』というのは、時間が経ったというシンボルです。長い時間が経ちましたが、相変わらず状況は厳しく、悲しいことが起こり、人々は泣いていることを伝えたかったし、強調したかったのです」(シーモノワさん)


 市民の犠牲も日に日に増加し、現在5千人を超えるとも言われています(国際報道取材当時)。シーモノワさんの周りでも命を失う人が出てきていました。無残にも一瞬にして奪われていく命に、シーモノワさんは思いを馳せ、句を作っています。Candle flame is trembled from the draft - curfew blackout.(隙間風に燭(しょく)の火震え戦禍の夜)

「夏でとても暑く、軽いすきま風でろうそくの火が揺れたとき、人間の命もこの炎のように儚いんだということを思い出しました。すきま風でろうそくの炎が簡単に消えるように、人間の命も非常に簡単に奪われてしまうと思いました」(シーモノワさん)


 破壊され続ける故郷の街の姿。身も心も激しく傷ついた人々。耐え難い日々の中で、シーモノワさんにとって、俳句を詠むことが“救い”につながっていました。「戦争はとても多くの感情をもたらします。残念ながら、それは往々にして悲しいものです。私は自分の中にたまった感情を紙の上に書き出すだけです。俳句は私にとって大きな助けになりました。俳句を詠むと、この句がいつか読み手に届き、私の感情を少しは想像してもらえる。そう思うと楽になるんです」(シーモノワさん)


 侵攻以来、シーモノワさんは俳句を通して、戦争のむなしさを伝えてきました。「戦争は常に破壊であり、苦痛であり、死であり、涙だ」と私たちに語りました。しかし、その一方で、わずかながらでも、将来への希望を感じさせる句も詠んでいます。The streets are empty. Sunlight oozes through bullet holes.(街は空(から)弾痕を洩(も)る日の光)

「民家の塀に開いた銃弾の穴から太陽の光が差し込んでいる映像がとても記憶に残りました。その光が将来の希望のように見え、弾丸の穴を光が通り抜けていることで、最後には光が闇に勝つことへの希望のように見えました」(シーモノワさん)


 専門学校に通い、IT技術者の仕事に就きたいと考えてきたシーモノワさん。しかし、その目標も軍事侵攻によって、中断しています。シーモノワさんの今の夢は俳句集を出すことです。将来は、国の復興、家族の再会、人々の笑顔、当たり前の幸せを詠める世界になってほしいと願っています。

日本でもシーモノワさんの句集が発刊されたようです。この本は黛まどかさん監修。2023/8/25集英社。
★地下壕に紙飛行機や子らの春
★さくらさくら離れ離れになりゆけり
★水甕の底に触れたる寒さかな
★真つ青な空がミサイル落としけり
★雨に転がる血まみれの小さき靴
★いくたびも腕なき袖に触るる兵
★街の灯の消えハルキウの星月夜