3/17の長崎新聞に掲載された「俳句はいま」↓

 読みやすいように活字に興しました。

揺らぐ「私」の概念 

 「シーラカンスの砂時計」など         

      神野紗希


 文学研究者で詩人の鳥居万由実は、評論「『人間ではないもの』とは誰か」(青土社)で、大正末から昭和初期の日本の詩には動物や機械など「人間ではないもの」が多く表れると指摘し、その理由を、社会構造が変動すると従来の概念が揺らぎ「安定した自我、確固として自己同一的な主体に対する疑いが生じる」からでは、と考察する。

 現代も、インターネットによる自我の細分化、ゲノム操作や人工知能(AI)の発達により、「私」や「人間」の境界が捉え難い時代だ。ポストヒューマンの時代に、人間は何を書き得るのか。


▼乾佐伎の句集「シーラカンスの砂時計」(砂子屋書房)

 シーラカンスがたびたび表れる。

★砂のないシーラカンスの砂時計


 では、生きた化石の永い時間を思わせ、


★シーラカンス東京をうまく泳げない


 では現代の生きづらさをシーラカンスが代表する。


★雨粒の中でひかりが手をつなぐ

★今わたし幸せですと独楽まわる


 の光や独楽も「人間ではないもの」に人間が投影された。


 著者はあとがきで「これからもシーラカンスと泳ぎ続けます」と書く。シーラカンスは友であり分身、自由の象徴なのだ。


▼野名紅里の句集「トルコブルー」(邑書林)

 むき出しの心が震えながら世界を見つめている。

★薔薇園にたつたひとつの薔薇ばかり

★ずつと新しい滝ずつと見てゐたり


 薔薇や滝の水のリフレインを凝視する主体。 


★一日を透けては濁る水母かな

★デージーが終はりの中で始まりたい


 対義的な語の結びつきに二項対立は融解し、混沌の中に命がひらめく。


▼第14回北斗賞受賞作 若林哲哉「嗽口(そうこう」

 「俳句界」(文學の森) 2月号では第14回北斗賞受賞作として若林哲哉「嗽口」が発表された。

★砂に足埋め料峭の亀眠る

★水槽に殻脱ぐ蝦も雨の夏至


 この亀や蝦は人間の分身ではなく、ただ亀や蝦として淡々と在る。


★山吹の散り浮く沢に嗽ぐ


 人間も過剰な意味を降ろし、清らかに自然にひざまずく。


 若林は受賞に寄せて「単純な生存すら困難になりつつある現代を生き延びる中で、自分自身の目に映ったものをただ書き留めようとする営為」に安寧を見いだす、と書く。詠みとめられたものたちは、触れれば分解しそうな主体がそれでも見た最後の光のように、純粋な清しさを宿して立つ。 (神野紗希)