「俳句あれこれ」「ときめき永久に①」(池田澄子) 2/19読売新聞俳壇歌壇のページ掲載。


 ①とありますから、池田澄子さんがシリーズで書かれるのだと思います。以下、読みやすいようにして活字に興しました。 

ときめき永久に①  池田澄子

 年末からの掛け軸は毎年、三橋敏雄の


★一生の幾箸づかひ秋津洲


 に決まっている。

 句意の説明は必要ない言葉遣い。こう詠まれて気付くのです。数知れない古今の人間の、私もその中の一人。永い年月をどれ程の人が初めは木の枝を削り用いてか、モノ食んできたのだったと。この小さな島で寒さに苦しみ暑さを耐えて愛憎を重ね、或いは見栄を張り兎も角も健気に、それは子々孫々繰り返されてきたのだったと気付かされ、敬虔な気持になる。

 この大認識を季節で区切ることなど出来ない。貧富の差あり大方は貧しく幸不幸様々に、生きるため幾たび箸を用いてきたことか。

 正岡子規は『俳諧大要』に「俳句は文学の一部なり」「俳句には多く四季の題目を詠ず。四季の題目なきものを雑(ぞう)と言ふ」と定義しています。このお軸、一年中眺めていても大丈夫なので、掛け替えたくならない。


 ※この句以前に、「長旅のわが箸乾く旱かな」「箸の木や伐り倒されて横たはる」といった同じく箸をテーマにした句を三橋敏雄さんは作っておられるそうです。