「月並」宗匠たちの句 為永憲司(「俳壇」編集長)


 2/11の朝日新聞の俳壇・歌壇のページに掲載されていた「うたをよむ」は《「月並」宗匠たちの句》と題し、「宗匠たちもまた俳句を愛し、日々俳句に向き合っていたはず。同じく俳句を愛する者として、彼らの句の豊かさに心を通わせてみたい」(為永憲司)というものでした↓。

「月並」宗匠たちの句 為永憲司(「俳壇」編集長)

 1929(昭和4)年に改造社から刊 行された『現代日本文学全集』の第三十八篇「現代俳句集」には、170人の俳人の作品が並ぶ。

 この本の興味深いところは、冒頭に正岡子規ではなく月の本為山から阿心庵雪人(せつじん)まで17人の、いわゆる「月並派」の宗匠たちの句を配したことだ。


 子規による「旧派」排撃以来、陳腐卑俗と退けられてきた彼らの句に私は心惹かれる。

 編集長を務める「俳壇」1月号でも特別企画を組んだ。


★浮寝鳥見て居る雪のからす哉 等裁

★とし立つや結びて長き箱の紐 春湖

★春風や遥かの丘の人の声 永湖

★椋鳥は知らぬ納豆茶漬かな 東枝

★はつ日の出暫時(しばらく)あつて波ひとつ 聴秋

★俳諧の腹調へん河豚(ふくと)汁 雪人


 江戸以来の俳諧に遊び、滑稽に命をかけようという心意気、清潔で平和な俳風は、いま読んでも新鮮なものがある。 


 これらの句を、俳諧者流の「月並」と一概に否定すべきではない。彼らの句に俗臭を感じる時、そこに近代を経てきたわたしたち自身の心の曇りや歪みがないと言い切れるだろうか。宗匠たちもまた俳句を愛し、日々俳句に向き合っていたはず。同じく俳句を愛する者として、彼らの句の豊かさに心を通わせてみたい。


 正岡子規が俳句革新に動き出す前に、月並宗匠の俳句をしっかり学んでいたことは大きな意味を持つ。高浜虚子たちの月並研究は、「月並」の意味と内容を研究し、その当時の俳句にも反省を促した点で興味が尽きない。現代の新しい月並研究がおこなわれてもよい時期ではないか。

                 ※「月並(み)」は、元々は「毎月の恒例」という意味で用いられていた言葉。俳句の世界においては「月並句合(つきなみくあわせ)」と呼ばれる興行があり俳諧宗匠が毎月、兼題の句(発句)を集めて句会を開き、高得点句をまとめて出版する、というものであった。 正岡子規はこのような句会で作られた句を、機知や風流振りを特徴とするありきたりな俳句と言い、「月並調」と呼んで批判し排斥した。今日「月並」という言葉が「陳腐、ありきたり、平凡」といった否定的な意味で使われているのはここに由来する。