俳句はいま《風土に没入し対象見る 「澤」「夜景の奥」》神野紗希。(⅖長崎新聞掲載)
思想家の西田幾多郎はかつて、 日本文化が憧憬してきたのは「己を空うして物を見る、自己が物の中に没する」無心の境地だと述べた。「私」をからっぽにして見つめれば、私自身が対象の中に没入してゆく ・・・。この感覚は俳人が自然を詠む折の姿勢と共通する。
▼小澤實の新句集「澤」(角川文化振興財団)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240206/18/kawaokaameba/bc/c8/p/o0668096015398309812.png?caw=800)
18年ぶり、待望の新句集「澤」(角川文化振興財団)の冒頭の句だ。早春、積もった雪を弾き熊笹の葉が飛び出した。その躍動を見つめる無心。からっぽになった心に、命に触れた感動が満ちてくる。
★澤水に顔洗ひたる辛夷かな
★夏蕨先端に蟻いくつ乗る
★一蔓にあけび三個や熟れちがふ
人為を超えた自然の諸相に心は没入する。
★鹿島槍夏至残照をかかげた り
★ひとすぢの光は最上鳥渡る
★榛名山万緑の押しのぼるなり
山河の句の屹立も揺るぎない。
★みしみしと増ゆる人類冴返る
★翁に問ふプルトニウムは花なるやと
現代への批評も巨視的な把握で堂々と据わる。
★岩はなれ鮑むささび泳ぎかな
の「むささび泳ぎ」、
★餓鬼岳のみづいろどきや蚊喰鳥
のたそがれ時を踏まえた「みづいろどき」など自在な造語も特徴だ。
小澤の句には風土が濃く匂う。似た言葉でも「環境」といえば人間に対する周囲を指す感覚だが、「風土」は人間も自然と一体として融合的に捉える。
★母おはす鼻の頭の汗の玉
★ケフチクタウケッシテ死ナナイデクダサイ
★新米を握りこぼしぬ新米に
人の営みも、熊笹や蟻と同じく尊い。人間も自然の裡に生きる一つと受け止める姿勢が、大地と人間を結びつけ、おおらかに命を輝かせる。
▼浅川芳直第一句集「夜景の奥」(東京四季出版)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240206/18/kawaokaameba/ab/4c/p/o0706104815398309814.png?caw=800)
★姥百合の実の時詰めてゐる力
★山霧を分けくる沢の青さかな
★雪となる夜景の奥の雪の山
没入すれば、姥百合も山霧の沢も雪山も、命として迫り出す。
★あかるくてからつぽしぼり器のレモン
の清新な寂しさ、
★一本は海に吼えたる黄水仙
のまぶしい矜持。
★わが深きところへ飛雪息晒す
私の裡に雪が降り、私の息を雪へ差し出す。
自然へと心身をひらけば、風土もいきいきと「私」を容(い)れる。 (神野紗希)
★湯を捨てて屋台しまひや梅の花 小澤 實
★秋風やカレーにソースかけて父
★船上や生簀分かちて鯛と鰺
★鯰の口破れたり鉤をはづさんに
★箱眼鏡流れに押すやすべてみどり
★かはぞこもかはらも石やあきのかぜ
★枯木山顔も洗面器も洗ふ
★冷えびえと阿修羅が耳の四つのみ
★寒天干す太陽に雲厚けれど
★水入れて薬罐くもりぬ桃の花
★傾けて小面泣かすくさひばり
★熊が肉(しし)猿(ましら)が肉と一包み
★クレーター内クレーター去年今年
★獅子舞の金の歯に見え眼鏡の顔
★新春の小石ひとつを蹴つて泣く 浅川芳直
★約束はいつも待つ側春隣
★水平線もりあがり鳥雲に入る
★城山より見据ゑ阿武隈夏霞
★論文へ註ひとつ足す夏の暁
★電飾の光が曝す幹寒し
★初雪のこぼれくる夜の広さかな