俳句はいま《風土に没入し対象見る 「澤」「夜景の奥」》神野紗希。(⅖長崎新聞掲載)

風土に没入し対象見る 「澤」「夜景の奥」 神野紗希

 思想家の西田幾多郎はかつて、 日本文化が憧憬してきたのは「己を空うして物を見る、自己が物の中に没する」無心の境地だと述べた。「私」をからっぽにして見つめれば、私自身が対象の中に没入してゆく ・・・。この感覚は俳人が自然を詠む折の姿勢と共通する。


▼小澤實の新句集「澤」(角川文化振興財団)

★残雪を弾き出でたる熊笹ぞ 小澤實

 18年ぶり、待望の新句集「澤」(角川文化振興財団)の冒頭の句だ。早春、積もった雪を弾き熊笹の葉が飛び出した。その躍動を見つめる無心。からっぽになった心に、命に触れた感動が満ちてくる。


★澤水に顔洗ひたる辛夷かな

★夏蕨先端に蟻いくつ乗る

★一蔓にあけび三個や熟れちがふ


 人為を超えた自然の諸相に心は没入する。


★鹿島槍夏至残照をかかげた り

★ひとすぢの光は最上鳥渡る

★榛名山万緑の押しのぼるなり


 山河の句の屹立も揺るぎない。


★みしみしと増ゆる人類冴返る

★翁に問ふプルトニウムは花なるやと


 現代への批評も巨視的な把握で堂々と据わる。 


★岩はなれ鮑むささび泳ぎかな 


 の「むささび泳ぎ」、


★餓鬼岳のみづいろどきや蚊喰鳥


 のたそがれ時を踏まえた「みづいろどき」など自在な造語も特徴だ。 


 小澤の句には風土が濃く匂う。似た言葉でも「環境」といえば人間に対する周囲を指す感覚だが、「風土」は人間も自然と一体として融合的に捉える。


★母おはす鼻の頭の汗の玉

★ケフチクタウケッシテ死ナナイデクダサイ

★新米を握りこぼしぬ新米に


 人の営みも、熊笹や蟻と同じく尊い。人間も自然の裡に生きる一つと受け止める姿勢が、大地と人間を結びつけ、おおらかに命を輝かせる。


▼浅川芳直第一句集「夜景の奥」(東京四季出版)

 東北在住の若き俳人・浅川芳直の第一句集「夜景の奥」(東京四季出版)にも風土との臍帯(さいたい)を力強く結んだ作がひしめく。

★姥百合の実の時詰めてゐる力

★山霧を分けくる沢の青さかな

★雪となる夜景の奥の雪の山


 没入すれば、姥百合も山霧の沢も雪山も、命として迫り出す。


★あかるくてからつぽしぼり器のレモン


 の清新な寂しさ、


★一本は海に吼えたる黄水仙


 のまぶしい矜持。


★わが深きところへ飛雪息晒す


 私の裡に雪が降り、私の息を雪へ差し出す。


 自然へと心身をひらけば、風土もいきいきと「私」を容(い)れる。 (神野紗希)


★湯を捨てて屋台しまひや梅の花  小澤 實

★秋風やカレーにソースかけて父

★船上や生簀分かちて鯛と鰺

★鯰の口破れたり鉤をはづさんに

★箱眼鏡流れに押すやすべてみどり

★かはぞこもかはらも石やあきのかぜ

★枯木山顔も洗面器も洗ふ

★冷えびえと阿修羅が耳の四つのみ

★寒天干す太陽に雲厚けれど

★水入れて薬罐くもりぬ桃の花

★傾けて小面泣かすくさひばり

★熊が肉(しし)猿(ましら)が肉と一包み

★クレーター内クレーター去年今年

★獅子舞の金の歯に見え眼鏡の顔


★新春の小石ひとつを蹴つて泣く 浅川芳直

★約束はいつも待つ側春隣

★水平線もりあがり鳥雲に入る

★城山より見据ゑ阿武隈夏霞

★論文へ註ひとつ足す夏の暁

★電飾の光が曝す幹寒し

★初雪のこぼれくる夜の広さかな