「俳句文学館」1月5日号の「春夏秋冬」欄に、岸本尚毅さんによる小論を書いていました。▼金沢の三文豪とは泉鏡花、徳田秋声、室生犀星。その共通点は俳句である。2020年の秋山稔編『泉鏡花俳句集』(紅書房)、2022年の岸本尚毅編『室生犀星俳句集』(岩波文庫)に続き、2023年に大木志門編『徳田秋声俳句集』(亀鳴屋)が刊行された。

▼秋声は鏡花などとともに尾崎紅葉門の四天王と称され、俳句は師の紅葉に従って作り始めた。私は『文豪と俳句』(集英社新書)を書くため鏡花と犀星の句は多く読んだが、秋声の句は殆ど知らなかった。

▼先日、金沢にある秋声の記念館を訪れたさい、展示にあった

石上の水に雲あり今朝の秋

という句の美しさに驚いた。「石上」はセキジョウと読む。硬い響きがいい。映るという言葉を使わず、「水に雲あり」といったところが心憎い。「石上の水」は手水鉢かもしれないが、それよりも、大きな石の上にうっすらと水が溜まっているところに雲が映っていると解したほうが景として美しいと思う。

▼あのコテコテの私小説作家は一体どんな句を作ったのだろうか。私は記念館で売っていた瀟洒な装丁の秋声句集を買い求めたのである。(岸本尚毅)

 私も徳田秋声さんの俳句は全くというほど知りませんでしたので、上にある『徳田秋声俳句集』をネットで検索してみました。

 出版元の亀鳴屋さんのHPが見つかりました。↓はそこにあった本の写真です。 (表紙の色、デザインは6種類。全310句収録)

『徳田秋聲俳句集』より

★春雨に草履ぬらしつ芝居茶屋

★生きのびて又夏草の目にしみる

★森に来れば森に人あり小六月

★十輪の薔薇の莟や血肝のごとく

★ベースボール苺の野辺は荒にけり

★人魚とワルツ踊らむ月の霄

★無花果の秋となりけり水うわさ

★水をのむ猫の小舌や秋あつし

★折々は妻の疎まし冬籠り

端坐して雨の音聴く夜伽哉(紅葉の臨終に際した寄せ書き) 

牛のせて舟泛びけり春の水(書に「潮来」)

★花の雨終にはさむる恋ながら1872年、石川県金沢市生まれ。1888年(明治21年)第四高等中学校入学。このころから読書熱が高まり、学科では英語漢文が特に成績が良かった。1891年(明治24年)、父の死去で第四高等学校を退学。その後、大阪の長兄を頼るなど各地を転々とし、郡役所の雇員、新聞記者、英語教師などをしながら半放浪的生活を送った。1895年(明治28年)、博文館の編集部に職を得、当時博文館に出入りしていた泉鏡花の勧めで紅葉の門下に入る。翌年、被差別部落出身の父娘に取材した『薮かうじ』を「文芸倶楽部」から発表し、これが実質的処女作。以来、泉鏡花、小栗風葉柳川春葉とともに紅門の四天王と称された。1900年(明治33年)「讀賣新聞」に連載した『雲のゆくへ』が出世作となる。1904年結婚。1903年、尾崎紅葉死去。日露戦争後、文学の新気運として自然主義文学が擡頭するなかで、秋声の文学的資質が、新文学の写実的な傾向と相俟って本領を発揮してゆくこととなる。1906年本郷森川町の住居に転居し、ここが生涯の住処となった。以後の秋声の活躍は華々しい。『新世帯(あらじょたい)』「国民新聞」に連載し、その後短編集『発奮』など数々の短編、中編などを発表していった。