12/24朝日俳壇歌壇ページ掲載の「俳句時評 澤好摩の美しい抒情(阪西敦子)」。

澤好摩の美しい抒情  阪西敦子

 7月に客死した俳人・澤好摩を偲ぶ会が11月4日に都内で催された。

 1944年生まれの澤は、63年に東洋大学に入学して作句を開始。在学中に坪内稔典と出会い、その縁から68年に大阪 へ居を移す。69年に坪内らと同人誌「日時計」を創刊。その後も複数の同人誌の創刊に関わった。仲間を求め、人と人とをつないだ人だ。帰京後、前衛俳句の旗手・高柳重信が編集長の「俳句研究」の編集助手をつとめ、変化していく俳句の動きや新たな作家の登場に立ち会ってきた。折々に出会った人々が偲ぶ会に集い、句業と広やかな人柄が語られた。 

 参加者には、澤を顕彰した2冊の俳誌が献呈された。一冊は、澤が最後に創刊し、死の直前まで作品を発表した「円錐」。旺盛な活動と交流を克明に記す年譜や、19人の追悼文が掲載された。

「人間存在のかなしびや孤心、そこから発する人懐かしさとでも言うような美しい抒情」

 という澤の同志である味元昭次の証言は、澤が目指したものを言い当てている。

 もう一冊の「翻車魚(まんぼう)」では2014年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した『光源』を含む既刊の句集と、それ以外の句から「澤好摩の百句」を高山れおなが選・鑑賞している。


★曇天へ馬駆け込めり桃の花


 は、馬が好きだった澤がその躍動を詩情豊かに描いた句。


★寒雲に片腕上げて服を着る


 は、服を着ることがもたらす雲と人の接近が新鮮だ。


★折紙をひろげて皺の日永かな


 は、皺に宿る時間を愛おしむようだ。


 長く広い句業を展望する、さらなる顕彰と継承を待ちたい。 (阪西敦子)

(↑読売新聞オンライン7/10より)