第63回(長崎)県文芸大会(1) 俳句2句吟
だいぶ遅れましたが、第63回(長崎)県文芸大会の結果です。(11月19日、於長崎ブリックホール国際会議場)。
先ず俳句部門から。俳句部門は、20句吟と2句吟とあります。(私は2句吟に参加しましたが入賞に至らず)。
※牛飼瑞栄・小谷一夫特選第2位、籏先四十三佳作選
【優秀賞】2句
★浦上の露はつぶやくごとく満つ 長崎 前川弘明
※牛飼瑞栄特選第1位、籏先四十三佳作選
★幻聴は薔薇の囁きかもしれぬ 長崎入口弘德
※牛飼瑞栄特選第3位、木下慈子・小谷一夫佳作選
【佳作賞】8句
★虚と実のあはひをさぐるホ句の秋 島原 石山敏郎
※籏先四十三特選第1位
★楽しみはまだ百歳へ白絣 長崎 今泉藤子
※木下慈子特選第1位
★海坂や秋灯潤む異人館 長崎 今泉藤子
※木下慈子特選第2位
★信長や蛍の照らす生命線 南島原 森野章子
※小谷一夫特選第1位
★地下足袋を脱がず昼餉や汗の母 大村 田原静子
※荒井千佐代特選第1位
★沈黙の海の青さよ穴まどひ 長与 古賀昌代
※籏先四十三特選第2位
★開かぬ日で乳房を探る子猫かな 大村 赤城正信
※小谷一夫特選第3位、籏先四十三佳作選
★病室の窓に初雪結晶す 長与 阿部順子
※荒井千佐代特選第2位
以上が入賞句でした。各句の選評は下に書いておきました。
◎さて私。入賞には至りませんでしたが、2句、選を頂いておりました。感謝です。
〜(荒井千佐代選評)「平飼(ひらがい)」とは、鶏などを地面上で飼育すること。ケージやバタリー舎など立体構造の畜舎で飼育されている鶏は、狭い所に閉じ込められ、見るからに息苦しそう。平飼されると自ずから逞しくなり、「寒卵」も特別おいしい。
(牛飼瑞栄・小谷一夫佳作選)
〜(牛飼瑞栄選評)エンタープライズ入港の時代が記憶の中で風化しつつある佐世保の現在の光景を作者は余計な事は一切語らず一句に昇華されている。あれから数十年が経過し、原潜の入港が日常化した街にどこか諦観にも似た空虚な明るさが満ちているような気がしてならない。
〜(小谷一夫選評)一句が漢字だけでスッキリと詠まれている。「山又山山桜又山桜」青畝の句も漢字ばかりの句として有名である。季語がこの季語以外には無いと思わせる佳句。
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★ソフトクリーム舐めて螺旋を消しにけり 大村 松本裕子
〜(牛飼瑞栄特選評)当り前過ぎてつまらない句もあれば、当り前を敢えて俳句に詠むことで見落していた点に気づかされる場合がある。
誰もが目にしているのに誰も詠まなかった句が俳句の理想であり、この句、当り前の中の意外な気づきを呈示されていて俳句の名人芸とでも呼ぶべき作品である。
〜(小谷一夫特選評)現代の俳句界で一番問題になるのは、類句・類想句が多いということである。この句は「ソフトクリームの螺旋を消した」に発見がある。芭蕉は「三冊子」の中で「新しみは俳諧の花なり」と言っている。まさに、この句は新しみのあるいい句である。
〜(籏先四十三選評)ソフトクリームが日本に登場したのは1951年7月3日。7月3日はソフトクリームの日である。螺旋状につくられたものを上から舐めてその螺旋を消していく。舌とクリームのせめぎあいが面白い。
★浦上の露はつぶやくごとく満つ 長崎 前川弘明
〜(牛飼瑞栄特選評)浦上という地名から否応なく読者は「原爆」のニ文字が脳裏をよぎる。
観光化しているとは言え、歴史的遺産である爆心碑も平和祈念像も原爆資料館も原爆病院も浦上の地に歴然と在る。
長崎の俳人として「浦上の露」から爆死者たちの無念の呟きを感じとられたことは、ある意味、必然な事なのかも知れないが、純真な作者の思いと感性が無ければ捉えることの出来なかった死者たちの呟きなのである。
〜(籏先四十三選評)浦上と言えば、原爆投下の地である。焼け野原になってはや七十有余年。そこには青草が生え、結露した水滴が結ばれている。その露は何を語っているのであろうか、ただ光り輝いている。
★幻聴は薔薇の囁きかもしれぬ 長崎 入口弘德
〜(牛飼瑞栄特選評)初学の頃、物をよく観て俳句を詠みなさいと師に口すっぱく言われたものである。
当然ながら写生句の素晴しさは実感しているが、この句のような作者の感性に圧倒される句に出合うとつくづく俳句は世界で一番短い詩であるという事を再認識させられる次第である。
〜(木下慈子選評)幻聴は筆者にも時々。その耳鳴りを「薔薇のささやき」とは素晴らしい!! よく虫の声、蝉の声などで例えられているが薔薇の方がロマンが有り想像するのも楽しい句。
〜(小谷一夫特選評)薔薇が囁くはずが無いという人は、俳句とは無縁の人である。常識で俳句を詠むと、どうしても説明になってしまう。そういう常識を作者は嫌ったのである。「薔薇の囁き」のは素敵な愛の言葉だ。
★虚と実のあはひをさぐるホ句の秋 島原 石山敏郎
〜(籏先四十三特選評)俳句は創作の世界に遊ぶものであるから、虚を詠んでも良い。吟行の後、時が経過しても、その吟行の景や抱いた感情を句にしてよい。俳句は虚と実の皮膜に生まれる文学である。虚の世界から現実を見、現実を表現することで感動を与える句が生まれる。虚と実の間を探ることで感動を与える句が生まれると先人が言っている。
★楽しみはまだ百歳へ白絣 長崎 今泉藤子
〜(木下慈子特選評)白絆は家庭で着る浴衣のようなもので見た目にも涼しいが、近年見られなくなった。でも筆者の亡き父は良く着ていた。ふとその思い出にほっこり。白絣の古い季語に対し作者は百歳と云う未来へ、楽しみながら歩いている。素晴しい!!!
※今泉さんは現在88歳。
★海坂や秋灯潤む異人館 長崎 今泉藤子
〜(木下慈子特選評)遠景の海坂から異人館への展開がよく、長崎らしさがうまく詠まれている。東山手、南山手町にはグラバー邸、リンガー邸等が今も残されている。そこから見下す海の景は、句に広がりを持たせている。
★信長や蛍の照らす生命線 南島原 森野章子
〜(小谷一夫特選評)「蛍の照らす生命線」のフレーズは、既に似た表現が有るかと思う。しかし、信長との取り合わせにより、俄然類想を越えた句になった。蛍があたかも信長の本能寺の変での自刃を暗示しているようだ。よくあるフレーズの句でも取り合わせの妙により佳句となることを示した句。
★地下足袋を脱がず昼餉や汗の母 大村 田原静子
〜(荒井千佐代特選評)地下足袋の「地下」は当て字で、直(じか)に土を踏む足袋の意。丈夫な布と厚いゴム底からなる。お母様は農業従事者と想定。昼に家に戻り、地下足袋を脱ぐのももどかしく縁側や土間に腰かけ昼食。ゆっくり休憩もせず、すぐ又畑へ。喩え揭句が過去の景であろうと、心より感謝したい。私共が入手している野菜かもしれないのだから。「母の汗」ではなく「汗の母」である。お母様を存分に詠い上げ、揺るぎ無い。
★沈黙の海の青さよ穴まどひ 長与 古賀昌代
〜(籏先四十三特選評)長崎市外海地区に遠藤周作の文学碑が建てられています。『人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりにも碧いのです』。目の前に広がる碧い海を眺めると、ロドリゴをかくまったイチゾウとモキチがこの海岸で殉教したシーンが蘇る。
★開かぬ日で乳房を探る子猫かな 大村 赤城正信
〜(小谷一夫特選評)「名句とは誰もが見ているものでまだ誰も詠んでいない句」と飯田龍太が述べている。この句はまさにそのような句である。俳句は目を皿にして具材を見つけるものではなく自分の身近なものを詠む。命を詠んだ写生句 。
〜(籏先四十三選評)生まれたばかりの子猫は原始的な口唇段階、すなわち食べ物を得るために親の乳房を探るという本能により動かされる。子猫の目は12日目から開き始める。
★病室の窓に初雪結晶す 長与 阿部順子
〜(荒井千佐代特選評)何と清々しく前向きの作品だろう。入院で滅入っている様子も感じさせず、その上「初雪」を認め、病室の窓に結晶となってゆくのを見たと言う。「結晶」という語はポジティブで、努力や苦心等の結果が立派な形になって現れたものを言う。それは作者の順調な回復を想像させ、更に、どんな時も詩心を携え得る強い精神の持ち主であるということを納得させられる。