8/21の朝日新聞の俳壇・歌壇ページに大串章さんの「大野林火のこと」という小論が載っていました。(ブログは少し編集して活字にしています)。
★鳥も稀の冬の泉の青水輪
★つなぎやれば馬も冬木のしづけさに
林火忌(8月21日)が来る度に大野林火のことを思う。
私は中学生の頃、「俳句」(昭和28年10月号)で斯うした句に出合い、林火作品に魅了された。そして大学生の頃、林火に師事し、句集『海門』や著書『現代俳句讀本』等を買い漁り耽読した。就職して横浜に住むようになってからは、毎月林火宅を訪ねて面々 授受の指導を受けた。
初めて林火宅を訪ねた時、句集『白幡南町』に次の句を揮毫して貰ったことも忘れない。
★昏くおどろや雪は何尺積めば足る
この句は草津のハンセン病療養所栗生楽泉園を訪ねた時の作、
「化石らはこの豪雪の中で、肉親と離れ長い冬を耐えていると思うと目頭が熱くなった」(『自註 大野林火集』)
と記している。
林火は昭和26年から毎年栗生楽泉園を訪ね、村越化石らハンセン病患者の指導にあたった。化石の外、脊椎カリエスを病んだ野澤節子や結核を患った目迫秩父(めさくちちぶ)なども親身になって指導した。抒情俳人大野林火は堅固なヒューマニストでもあった。
晩年に至るまで各地の年中行事を訪ねて「風の盆」「卯月八日」など季語の発掘に努め、又、奈良・吉野や岐阜・根尾など桜の名所を訪ねて花の句に挑戦した。
★風の盆行くさき知らね流しに蹝く
★満齢古稀さくらのもとにけふ一日
前句は越中・八尾での作。後句には
「老いてますます充実した刻(とき)を持ちたい。励まねばならぬ」
と自註がある。
林火は生涯を通じて自らを耕し続けた俳人だった。 (俳人・「百鳥」主宰)
※この小論を読み、数年前、私が俳句を始め「母港俳句会」に入会した頃に、吉野ケ里全国俳句大会に参加した時のことを思い出しました。その時の講師が佐賀県出身の大串章さん、講話も大野林火さんのお話でした。その時のユーチューブをみつけました。(選者に今は故き母港主宰の西山常好先生もいらっしゃいました)。↓
★あはあはと吹けば片寄る葛湯かな
★ねむりても旅の花火の胸にひらく
★一燈にみな花冷えの影法師
★人の行く方へゆくなり秋の暮
★命ありて立つ長城の薫風に
★子の髪の風に流るる五月来ぬ
★日向ぼこ佛掌の上にゐる思ひ
★月夜つづき向きあふ坂の相睦む
★梅雨見つめをればうしろに妻も立つ
★淡墨桜風たてば白湧きいづる
★燈籠にしばらくのこる匂ひかな
★落花舞ひあがり花神の立つごとし
★霜夜来し髪のしめりの愛しけれ
★鴨群るるさみしき鴨をまた加へ