8/1長崎新聞掲載「俳句はいま」(神野紗希)。
◎「稲畑汀子俳句集成」(朔出版) が刊行された。
★今日何も彼もなにもかも春らしく
冒頭には、朝日俳壇で虚子に選ばれ、代表作となった一句が。「なにもかも」のリフレインが伸びやかで、世界に春の気配が満ちてゆく。
第1句集「汀子句集」を読むと、作家としての出立から、いかに素直で自由な詩性を備えていたかが分かる。
★牧場はすなはち雨のクローバー
★道ゆけば行くほど狭く蝶多く
★バターよく伸び煖房の食堂車
の眼前の景の感受、
★折たゝみベビーベッドを持ちて避暑
★昼寝するつもりがケーキ焼 くことに
の慌ただしくもほがらかな子育ての記憶。その明るさは、後半生の作をまとめた未完句集「風の庭」まで脈々と息づく。
★何の芽かそろそろ分り来る頃よ
★庭師来て団栗一つ残さずに
★一片の落花にどつと山の風
季節との対話を喜ぶ心。岩岡中正は、解題の終わりに、汀子は「自然も人も一切の存在に声をかけ讃え合ってつながる『存問』の日常普段の詩が俳句であるという信念」を持ち続けた人であり、「豊かないのちあふれる『肯定の世界』への願いが現代の『花鳥諷詠』」 だと述べる。
◎越智友亮、第1句集「ふつうの未来」(左右社)
★今日は晴れトマトおいしいとか言って
はつらつとした口語が特徴の越智友亮の第1句集「ふつうの未来」(左右社)も日常普段の詩として大いなる肯定の力を宿す。
★地球よし蜜柑のへこみ具合よし
★体温はたましいの熱梨を食う
地球やたましいといった大きな概念を、蜜柑や梨といった俗で抱きとめた。
★窓に結露ジャージで過ごす日曜日
★テレビ越しに花火は映えて餃子に酢
日常のテンションが伝わる。
★枇杷の花ふつうの未来だといいな
「ふつう」がぜいたくになった現代の実感を、枇杷の花で淡く包んだ。
友亮はあとがきで「誰にでもわかる平明な言葉で、ひとつひとつの言葉の働きを信じ、『今』を書きたい」と信条を示す。
日常、肯定、平明。当たり前でいとおしい私たちの言葉として、俳句は今も、あるがまま輝く。(神野紗希)
※「稲畑汀子俳句集成」は、7/31の朝日新聞「俳句時評」でも、阪西敦子さんが紹介してくれていました。
祖父・高浜虚子の選を受けつつ世界を広げる初期は、目の前のものを次々と句にする勢いが印象的。
★箱庭の釣人と居て退屈な
古風な季題にストレートな苦言を呈したことが臨場感を与える。
※「箱庭」が夏の季語。草木が水を青々と湛えた様子が涼しげ、ということから。
結婚と子育て、そして虚子の逝去。句の題材は次第に身近に絞られる。
★すぐ波に打ち寄せられて泳ぐ子よ
簡単に波に翻弄される子の姿を淡々と愛しむ。
父・年尾の死に伴うホトトギス主宰継承、夫・順三の死、日本伝統俳句協会の設立へ。このころ、よく見られるのが否定の使用。
★空といふ自由鶴舞ひ止まざ るは
「舞ひ続く」ではなく、「舞ひ止まざる」としたことが句に重さをもたらしている。
虚子記念文学館の設立から主宰退任へ至る「風の庭」の句群。
★隣席の香水匂ふ一時間
★したやうなしてないやうな 更衣
たびたび句とした香水や更衣も、従来描いてきた前向きな姿とは違う部分に目が向けられる。
★百年を語る水洟すすりけり
★虹消えてゆく消えてゆく誰もゐず
★草の実の飛んで遥かがありにけり
壮大さと些細な事実の落差 に描かれる世界。長く、時に困難な道のりを越えて獲得した自由の境地がそこには見える。 (阪西敦子)
朔出版 2022年5月 栞:宇多喜代子・大輪靖宏・長谷川櫂・星野椿 全5398句収録。A5判上製カバー装 576頁 定価:12000円(税込)
(収録句より)
★この辺の景色となつてゆく芒(汀子句集)
★落椿とはとつぜんに華やげる(汀子第二句集)
★長き夜の苦しみを解き給ひしや(汀子第二句集)
★一山の花の散り込む谷と聞く(汀子第三句集)
★六甲の全景移る初時雨(汀子第三句集)
★この出逢ひこそクリスマスプレゼント(障子明り)
★一枚の障子明りに伎芸天(障子明り)
★三椏の花三三が九三三が九(さゆらぎ)
★さゆらぎは開く力よ月見草(さゆらぎ)
★まだ誰も通らぬ山路朝桜(花)
★峡深し夕日は花にだけ届く(花)
★月の波消え月の波生れつ(月)
★深々と満ちゆけるもの月今宵(月)
★震災に耐へし芦屋の松涼し(風の庭)
★これほどに役に立つとは秋扇(風の庭)
★一本の電話子規忌の供華のこと(風の庭)
★過去未来そして現在霧去来(風の庭)
※「ふつうの未来」越智友亮著
1991年広島市生まれ。31歳。中学校在学時に句作開始。2006年第三回鬼貫青春俳句大賞受賞。2007年池田澄子に師事。共著に『セレクション俳人プラス 新撰21』『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』。
1,980円(税込) 左右社 2022年06月23日 B6判 146ページ 230句
「よく、どさっと俳句が届いたものだった。私は簡単に、いいわね、などとは言わなかった。ダメ出しを繰り返した。彼はめげなかった。」(池田澄子さん)
(収録句より)
★冬の金魚家は安全だと思う
★思い出せば思い出多し春の風邪
★いい風や刈られてつつじらしくなる
★コーラの氷を最後には噛む大丈夫
★ひこばえや喉は言葉を覚えている
★肝臓の仕事思えば金亀虫
★きりぎりす眠くても手紙は書くよ
★さくらさくら吸う息に疫病居るか
★風光る消毒疲れなる指に