3/29の長崎新聞に載っていた神野紗希さんの「俳句はいま」を読みやすいように活字にしておきました。
変わらず立ち続ける反骨 照井翠「泥天使」など 神野紗希
東日本大震災から10年。あの日みちのくで被災した俳人は、今もその記憶と向き合い続けている。
○岩手県釜石市で被災した照井翠は、
前句集「龍宮」に、
▪️双子なら同じ死顔桃の花
▪️喉奥の泥は乾かずランドセル
と生々しく震災を記録したが、今年1月刊行の第6句集「泥天使」(コールサック社)にはその後の8年分の震災詠 が収録されている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210331/17/kawaokaameba/df/88/p/o0746108014919005075.png?caw=800)
▪️海嘯(かいせう) の弧を保ちつつ陸(くが)呑みぬ
▪️瓦礫より舌伸べ雪を舐めたるか
▪️抱いて寝る雪舞ふ遺体安置所で
記憶はいつまでも鮮やかで苦しい。
▪️花置かばいづこも墓場魂祭
▪️降りつづくこのしら雪も泥なりき
の絶望、
▪️別々に流されて逢ふ天の川
▪️龍宮も卒業式となりにけり
の祈り。アウシュビッツでの、
▪️天狼や民の選びし独裁者
はヒトラーを支持した大衆の責任を突いた。
▪️肺白く芽吹き人類滅亡す
もコロナ禍を踏まえつつ人間の業を浮き彫りに。悲劇から目をそらさぬ詩人は、世界の過去や未来も見つめてえぐる。
○宮城県塩釜市在住の渡辺誠一郎の第4句集「赫赫 (かっかく)」 (深夜叢書社)は、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210331/17/kawaokaameba/f6/4d/p/o0756108014919005082.png?caw=800)
▪️人はみな屈背(くぐせ)となりぬ春渚
▪️生きている他は死者なり秋の雲
と時の流れをかみしめながら、今も続く原発の問題へ、
▪️春の限り炉心の底の潦
▪️原子炉はキャベツのごとくそこにある
と諧謔の毒をたっぷり盛る。
▪️秋蝶の空気がすでにばらばらで
の不安も
▪️仮の世の仮の世らしくミモザ咲く
の開き直りも震災後の実感だろう。
▪️津波来し浜近くして犬交る
▪️赫赫(かっかく)と闇に爪掻く老蛍
生き延び爆ぜる命のしぶとさに、腹の底から力が湧いてくる。
○女川町出身の土屋遊螢の第 1句集「星の壷」(現代俳句協会) は、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210331/17/kawaokaameba/fd/b4/p/o0707102014919005093.png?caw=800)
▪️やませ来る夢に鱗粉浴びてより
▪️炎天の尾が生えるまで赤子泣く
▪️ソーダ水おのころ島を生 みたまえ
と、瞬間の内に幻の時空を抱える詩性が特徴だ。その中に、
▪️避難所のアンパンの数冴返る
▪️小鳥来る瓦磯の下の命名紙
など、あの日の記憶が刻まれる。
▪️三・一一みちのく今も穢土辺土 (翠)
▪️秋風の栖あるなら道の奥 (誠一郎)
▪️みちのくは光遍し春の泥 (遊螢)
浄土からも都会からも離れ、寂しい秋風が棲み、汚れた泥がまぶしく輝く…。みちのくの反骨は、今もそこに、変わらず立ち続けている。 (俳人)