3/29の長崎新聞に載っていた神野紗希さんの「俳句はいま」を読みやすいように活字にしておきました。

変わらず立ち続ける反骨 照井翠「泥天使」など 神野紗希


東日本大震災から10年。あの日みちのくで被災した俳人は、今もその記憶と向き合い続けている。


岩手県釜石市で被災した照井翠は、

前句集「龍宮」に、


▪️双子なら同じ死顔桃の花

▪️喉奥の泥は乾かずランドセル


と生々しく震災を記録したが、今年1月刊行の第6句集「泥天使」(コールサック社)にはその後の8年分の震災詠 が収録されている。

▪️海嘯(かいせう) の弧を保ちつつ陸(くが)呑みぬ

▪️瓦礫より舌伸べ雪を舐めたるか

▪️抱いて寝る雪舞ふ遺体安置所で


記憶はいつまでも鮮やかで苦しい。


▪️花置かばいづこも墓場魂祭

▪️降りつづくこのしら雪も泥なりき


の絶望、


▪️別々に流されて逢ふ天の川

▪️龍宮も卒業式となりにけり


の祈り。アウシュビッツでの、


▪️天狼や民の選びし独裁者


はヒトラーを支持した大衆の責任を突いた。


▪️肺白く芽吹き人類滅亡す


もコロナ禍を踏まえつつ人間の業を浮き彫りに。悲劇から目をそらさぬ詩人は、世界の過去や未来も見つめてえぐる。


宮城県塩釜市在住の渡辺誠一郎第4句集「赫赫 (かっかく)」 (深夜叢書社)は、

▪️人はみな屈背(くぐせ)となりぬ春渚

▪️生きている他は死者なり秋の雲


と時の流れをかみしめながら、今も続く原発の問題へ、


▪️春の限り炉心の底の潦

▪️原子炉はキャベツのごとくそこにある


と諧謔の毒をたっぷり盛る。


▪️秋蝶の空気がすでにばらばらで


の不安も


▪️仮の世の仮の世らしくミモザ咲く


の開き直りも震災後の実感だろう。


▪️津波来し浜近くして犬交る

▪️赫赫(かっかく)と闇に爪掻く老蛍


生き延び爆ぜる命のしぶとさに、腹の底から力が湧いてくる。


女川町出身の土屋遊螢第 1句集「星の壷」(現代俳句協会) は、

▪️やませ来る夢に鱗粉浴びてより

▪️炎天の尾が生えるまで赤子泣く

▪️ソーダ水おのころ島を生 みたまえ


と、瞬間の内に幻の時空を抱える詩性が特徴だ。その中に、


▪️避難所のアンパンの数冴返る

▪️小鳥来る瓦磯の下の命名紙


など、あの日の記憶が刻まれる。


▪️三・一一みちのく今も穢土辺土 (翠) 

▪️秋風の栖あるなら道の奥 (誠一郎)

▪️みちのくは光遍し春の泥 (遊螢)


 浄土からも都会からも離れ、寂しい秋風が棲み、汚れた泥がまぶしく輝く…。みちのくの反骨は、今もそこに、変わらず立ち続けている。 (俳人)