NHK俳句テキスト7月号を読む(10)。今回の「わが師を語る」は「有馬朗人」さんでした。筆者は有馬朗人さんの「天為」の同人・編集顧問である日原傳さん。


※日原傳(ひはらつたえ)さん=昭和34年、山梨県生まれ。昭和54年、東大学生俳句会入会。小佐田哲男、有馬朗人、山口青邨の指導を仰ぐ。平成2年、「天為」創刊に参加。句集『重華』『江湖』『此君』(第32回俳人協会新人賞)、『燕京』、著書『素十の一句』。「天為」同人・編集顧問。俳人協会幹事。全日本漢詩連盟理事、日本文藝家協会会員。法政大学人間環境学部教授。

◎「有馬朗人先生の思い出」----日原傳(要約編集)


有馬朗人先生に私が初めてお会いしたのは山口青邨先生が指導されていた東大ホトトギス会という句会であった。会場は三四郎池近く にあった山上会議所(現在の山上会館)であった。

朗人先生が青邨先生に師事するようになったのもこの東大ホトトギス会が関係している。

昭和25年5月のとある土曜日。工学部鉱山学科の青邨先生の研究室を探し当て、俳句を作っていることを告げると、ちょうどその日の午後東大ホトトギス会があることを知らされ、当日の句会に参加、青邨主宰の「夏草」にも入会する ことになったという。

第一句集『母国』 に寄せられた青邨序には次のような一節がある。

「朗人君は大変な勉強家で、学問はもとよりだが俳句にも熱心だつ た。会場は学内の集会所、朗人君は出句して置いて、隣室で卓上計算機をガラガラ廻してゐた、こんなことが時々あつた。解答を期限までに出さなければならないし、かうでもしなければ句会に出られなかったのである」。

16歳で父を亡くし、アルバイトに追われながら苦学するなかでも俳句に対する情熱を失わなかった姿が描かれている。

「東大ホトトギス会本郷句会」。平日の夕刻に理学部の一室に集まって行なっていた月例句会。本郷句会のことは小林恭二『俳句という愉しみ』(岩波新書)に詳しい。「言葉に即して俳句を読む」いう先生の読みの姿勢は終始一貫 しており、学ぶことが多かった。句会のあとは本郷や根津の喫茶店で珈琲をご馳走になるのが常であった。

本郷句会に参加する学生を率いて俳句の合宿をしたこともあった。日光や油壺に大学の宿泊所があり、そこを宿とした。先生の健脚は有名であるが、夕立をもたらしそうな雲行きのもと戦場ヶ原の木道をずんずん先頭を切って進まれる姿が思い出される。


◎以下、有馬朗人さんの俳句と日原傳さんの寸評。


▪️水中花誰か死ぬかもしれぬ夜も


昭和28年作(21歳)。美しい水中花を目に人の生死を思う。自註に「青春につきものの憂愁感によくおそわれた」とある。『母国』(昭和47年刊)


▪️牛も走る枯野に夜が迫る時


大学卒業を間近に控えた頃、牛の句四句で「夏草」初巻頭を得た。急かされるような不安感を詠みこむ。『母国』(昭和47年刊)


▪️梨の花夜が降る黒い旗のやうに


白い梨の花の背後に深まりゆく闇。夜が「降る」という把握、「黒い旗のやうに」という比喩。詩的な作である。『母国』(昭和47年刊)


▪️日向ぼこ大王よそこどきたまへ


ギリシャでの作。哲学者ディオゲネスがアレキサンダー大王にそこをどいて日向をくれと言った故事を句に仕立てた。『知命』(昭和57年刊)


▪️寒鴉犬の屍(し)を食ふ飛鳥村


凄まじい光景である。それを受け止めるべく古代に繋がる「飛鳥村」という地名がどっしりと据わっている。『知命』(昭和57年刊)


▪️あかねさす近江の国の飾臼


枕詞に由来する「あかねさす」を「近江」に被せた大らかな新年詠。上五下五はア・ウ音、中七はオ・ウ音がよく響く。『天為』(昭和62年刊)


▪️光堂より一筋の雪解水


奥州平泉にある中尊寺の金色堂そこから流れ出る一筋の雪解水。神々しいきらめきが感受される幻想的な世界。『天為』(昭和62年刊)


▪️黒ビール白夜の光すかし飲む


モスクワでの作。いつまでも目の暮れない異国で黒ビールの色を愛でつつ飲む。黒と白の色の対比が印象深い。『耳順』(平成5年刊)


▪️根の国のこの魴鮄(ほうぼう)のつらがまへ


根の国は黄泉の国。深海に棲む魴鮄の習性を上五で言い当て、角張った異形の容貌を下五で滑稽に言いとめた。『耳順』(平成5年刊)


▪️山彦が籠りゐるどの氷柱にも


たくさん垂れている氷柱に出会い、一つ一つに山彦の声が籠っていると想像した。その童話的な世界を楽しみたい。 『立志』(平成10年刊)


▪️夜を泳ぎ死海の塩をたらしけり


イスラエル詠。塩分の濃い死海で泳ぎ、陸に上がった時の姿。「夜」「死」「塩」という文字が働きあって句を深めている。『立志』(平成10年刊)


▪️菜の花や西の遙かにぽるとがる


長崎での作。菜の花の明るさを目に南至文化をもたらした室町末から江戸初期にかけての彼の国との交流を思いやる。『不稀』(平成16年刊)


▪️天狼やアインシュタインの世紀果つ


天狼はシリウスの漢名。冬の季語。去りゆく二十世紀に思いを寄せ、物理学者ならではの感慨を吐露した。『不稀』(平成16年刊)


▪️初明り銀河系字(あざ)地球かな


初明りを拝しつつ宇宙的な視座から自らの生きる地球を捉えた。「字地球」に世界平和を希求する 心を籠めたか。『分光』(平成19年刊)


▪️いづこにも龍ゐる国の天高し


石雕(せきちょう※)から陶器の模様に至るまで中国では随所で龍の姿に出会う。その実感を秋空のもとで大づかみに詠いあげた。『鵬翼』(平成21年刊)


※「石雕」=石の彫刻。


▪️胸白く秋の燕となりにけり


南方に帰る時節を迎えた燕に思いを寄せた作。上五「胸白く」が全体を統べるかたちで働き、格調高い句となった。『流轉(るてん)』(平成24年刊)


▪️揚雲雀ガリア戦記の山河かな


ストラスブールでの作。古代史への興味が句を生む。『知命』に〈青蜥蜴もてカイザーの髭とせよ〉の句もある。『流轉』(平成24年刊)


※ストラスブール=フランス東部のドイツ国境近くに位置し、アルザス州の州都。フランスとドイツの文化が融合した国際色豊かな文化都市。


▪️蠍座のマヤの森より這ひ上る


メキシコでの作。蠍座は夏の星座。南の地平の低いところに見える。「這い上る」という見立てに虚実皮膜の妙がある。『黙示』(平成29年刊)


▪️さつと手をあげて誕生仏となる


花御堂で甘茶を注がれる誕生仏。「さつと手をあげて」という表現によって読み手を一気に釈迦誕生の瞬間へと導く。『黙示』(平成29年刊)


▪️山を裂き銀河へ迫り行く黄河


荒々しいイメージをもつ黄河。 何ヶ所かで大きく屈曲して流れる。龍門という難所もある。その激浪を捉えた。『黙示』(平成29年刊)


※有馬朗人さん略歴=昭和5(1930)年、大阪府生まれ。十代より作句し、21年、「ホトトギス」に初入選。東京大学理学部物理学科に入学した25年、東大ホトトギス会、「夏草」に入会。山口青邨に師事。31年、大学院修了。

47 年、第1句集『母国』、57年、第2句集「知命』出版。62年、第3句集『天為』 出版(俳人協会賞受賞)。平成2 (1990)年、「天為」創刊・主宰。24年、『流轉』詩歌文学館賞受賞。30年、『黙示』蛇笏賞、毎日芸術賞受賞。

句集『耳順』『立志』『不稀」『分光』。著書『現代俳句の一飛跡』『ゆっくり行こう』『量子力学』など。東大総長、理化学研究所理事長、文部大臣、科学技術庁長官、日本科学技術振興財団会長等を歴任。16年、文化功労者。22年、文化勲章受章。