『俳壇』1月号を読む(4)「にっぽん俳句風土記 芝不器男の里・愛媛県松野町」島松柏(荒星)


※芝不器男は、27歳で夭折、作句期間実質4年ぐらい、東京帝国大学農学部中退、東北帝国大学工学部入学など、私(すえよし)にとってとても印象深い人です。


私が芝不器男を知ったのは

永き日のにはとり柵を越えにけり

という句を母港の西山常好先生に教えてもらった時、


また仕事中に、風に揺れていた白藤の花が風が止んだ時に僅かに緑色をしているのを見た時に俳句になんとかしたいと思った時に例句の中で

白藤や揺りやみしかばうすみどり

という句を見つけた時の驚き、私の詠みたかった通りの句でしたのでもうびっくり❗。(従って私はもうそのような俳句は詠めないわけですが😭)。


そしてその最後を看取ったのが私の母校の学長をかつてされていた横山哲夫氏のお父上、横山白虹氏。活字として残っている『不器男句集』は横山白虹氏が不器男の死語編集発行されたものでした。


「永き日のにはとり柵を越えにけり」

は23歳の時の作品なんですよね。場所は、郷里の愛媛。関東大震災で帰省していて退屈な日々を送っている頃の作。退屈な日々、春になって日が長くなった「永き日」ののどかさ、また不器男自身の退屈さとややこれでいいのだろうかという怠惰な心。それを「にはとり柵を越えにけり」という実に単純な目の前の光景を詠むことによって表現した。これぞ俳人の目、と直截的な感情表現に傾きがちな頃の私はそう思ったものでした。そして、

「白藤や揺りやみしかばうすみどり」

は、実に簡潔明瞭な詠み口、見事な発見と写生。その時、芝不器男は天才❗だと思ったものでした。そしてそういう人に限って早死するという残念さ。


おっと!長くなりそうですので『俳壇』の記事に戻りたいと思います。


◎当記事のタイトル「吟行ガイド124愛媛ーー芝不器男の里・松野町」島 松柏〔荒星〕

◎吟行コース : 宇和島市~松野町松丸~不器男記念館~俳句の小径~広見川散策

宇和島駅〜(JR予土線40分)〜松丸駅(高知県との県境近く)。愛媛県北宇和郡松野町。

《それほど高くない山々に囲まれた、人口四千人ほどの、緑ゆたかで長閑な町である。四万十川に合流する広見川の清流が町の中心部を蛇行して流れている。若くし

て世を去った俳人芝不器男はそこで生まれ育った。》(島さんの文章。以下《》内、同じ)


◎松野町の自然

《町土の八割以上が森林で、北部の奥野川渓谷には勇壮な天ヶ滝があり、奥内集落の「棚田及び農村景観」は、国の重要文化的景観に指定されている。(中略)南西部にある滑床渓谷は十二キロメートルに及び、名瀑「雪輪の滝」を抱え、足摺宇和海国立公園の一部になっている。(中略)町の中心を流れる広見川は四万十川の支流の中で一番大きく鮎、ウナギ、川ガニ、手長エビなどの美味な水産物のよき漁場で、 川漁が盛んに行われている。》


◎松野町の歴史

《町内全域に中世の山城が確認されていて、特に松丸から富岡にかけ広がる河後森(かごもり)城跡は、国の指定史跡で、山頂部からは松野の街並みが一望できる。(中略)南部の「目黒ふるさと館」には、国の重要文化財である「目黒山形関係資料」が陳列されている。目黒山形は、江戸初期の吉田藩と宇和島藩の山境争いの裁判資料として幕府から製作を命じられた大型の彩色模型で、当時の地形や街道、集落の様子がよく再現されている。》


◎芝不器男記念館

《不器男の生家であった館内には、不器男直筆の短冊や日記帳などゆかりの品々が数多く展示されている。(中略)不器男という名は、父親が論語の「君子不器」(君子ハ器ナラズ=優れた人間は一つの器にとどまらない)から命名したと言う。(中略)松丸尋常小学校五、六年頃には、子規をはじめ多くの句集を好んで読んでいたと言う。》


《不器男が作句活動に入ったのは(大正)同十二年の頃(19歳)で、十四年初冬には吉岡禅寺洞の「天の川」に、


▪️下萌のいたく踏まれて御開帳 仙台市 芝不狂


が掲載され、以後は禅寺洞の助言を受け本名の不器男と改号する。

「ホトトギス」での掲載は、十五年十二月号の次の二句に始まる。(23歳)


▪️うちまもる母のまろ寝や法師蝉

(仙台につくみちはるかなる伊予の我家をおもへば)

▪️あなたなる夜雨の葛のあなたかな


この「あなたなる」の句は虚子の名鑑賞もあり、芝不器男の代表作のひとつとなる。


◎俳句の小径

《松野町では、不器男の功績をたたえ、松丸駅を中心に町内十七か所に不器男句を刻んだ句碑を設置し、「俳句の小径」として散策できるようにしている。》

▪️永き日のにはとり柵を越えにけり

▪️寒鴉己(し)が影の上(へ)におりたちぬ

▪️秋の日をとづる碧玉数知らず

▪️川蟹の白きむくろや秋磧

▪️風鈴の空は荒星ばかりかな


《筆者の所属する「荒星会」(平成八年発足)は、この「風鈴の」の句から採ったものである。》


◎俳句大会と新人賞

《例年二月下旬に不器男忌俳句大会が松野町で実施され、令和二年の大会で六十六回を数える。》


※第66回不器男忌俳句大会=2020年2月23日、松野山村開発町民センター、愛媛県北宇和郡松野町

0895-42-1118(松野町教育委員会)、三間ICから車で25分。事前句の募集は昨年の12/19で終了しています。


芝不器男俳句新人賞が平成十四年から四年に一回実施されている。(こちら、応募条件は四十歳未満)》


◎荒星会による吟行

《「荒星」の会員が松野町を訪れたのは二度あり(中略)最初は

平成八年七月、会の設立に関わった四人で訪問した。(中略)二度目の訪問は、平成二十九年九月に、荒星会の会員九人で実施した。(中略)筆者と佐々木清司氏は二度目。元教育長の日平治男氏と葛句会主宰の谷きよし氏の歓迎を受け、町内の句碑や広見川の畔を案内して頂く。昼食後募句会と荒星会による合同司会を開催。高点を得たのは次の二句であった。

「伊予と陸奥結ぶ縁や葛の花 渡辺徹」

「秋風やホームに不器男立ちつくす 島松柏」


◎その他の不器男句碑

《仙台市の不器男が寄宿した瑞雲寺の境内には、松野町の人たちが建立した、「あなたなる」の堂々とした句碑がある。》

《宇和島市立伊達博物館入口には「白藤や揺りやみしかばうすみどり」の句碑がある。》