『榾』10月号を読み始めました。
さて、何はともあれ自分のは?、と思って見始めましたところ、一面の下段に永田桃花先生の名前が目に止まりました。先ずはそこから。
過日、阿蘇に行かれたようですね。その時の吟行句の力作15句。
◾復興の楼門潜りおんだ祭
◾神官を乗せゆく神馬の目の涼し
◾炎天下神馬の糞を拾ふ子等
◾大阿蘇を背にして青田広がりぬ
◾苗束は神輿に抛(ほう)る今年米
◾復興を願ふもろびと御田祭
※「おんだ祭」=「御田祭り」。阿蘇大明神が阿蘇を開拓し農耕を広めた御神徳を称え、秋の豊作を祈る、年に一度の重要な神事だそうです。正式には「御田植神幸式」と呼ばれ、全身を白衣で覆った女性たち(「宇奈利(うなり)」)が、頭に唐櫃を載せ、田んぼの中を静々と歩いていく…また神輿で神のお渡があり、その神輿に稲を投げ神輿にたくさん稲が乗れば豊作、などというそうです。毎年、7月28か29日頃の日曜日に行われる。去年と今年は特に、熊本地震からの復興を願う思いも込められたことでしょうね。
◾剣聖の智恵の滴り霊巌洞
※霊巌洞(れいがんどう)は、熊本市西区松尾町の雲巌禅寺の裏山にある洞窟。宮本武蔵はこの洞窟で『五輪書』を書いた。洞窟内には岩戸観音の名で知られる観音像がある。
◾片陰に武蔵拝せし観世音
◾走り根は大蛇の姿苔青し
◾苔生(む)した五百羅漢の首何処
※雲巌禅寺裏の霊巌洞に至る岩山の斜面に、五百羅漢がある。姿、形が全て違うそうですね。見ていても飽きないような気がします。その中に首がない羅漢さんがあったのでしょう、きっと。
◾ひあふぎや往時のままの仁王像
◾阿蘇五岳噴煙細く夏の果て
◾風の音政庁跡やをみなへし 葉室冏子(きょうこさんかけいこさん)
◾秋さりの観世音寺の鐘の音の
◾さんざめく天満宮の薄紅葉
◾街並みへ月の光のやはらかき
◾秋いろの月日貝てふ手にうくる
(↑あんまり採れないそうで、刺し身にすると美味しいそうです)
※表紙巻頭の句「静さや蓮の實の飛ぶあまたゝび 堀麦水」
・「あまたゝび」= 数多度。何度も。たびたび。
・堀麦水=ほりばくすい。1718〜1783。金沢の俳人。中川乙由の門下だがその俗調にあきたらず、蕉風初期の「虚栗(みなしぐり)」調に傾倒。編著『蕉門一夜口授』 『新虚栗』など。
※巻頭の15句、次回は私に出せ、と言われています。
※私のはあとにまわします。
『榾』10月号(2)に続きます。