✏『俳句界』4月号〈5〉。「特集 横山白虹」より。

〇「横山白虹氏の『青』」(村田喜代子)より。

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村田喜代子さんは、「ニコよ!青い木賊をまだ採るのか(横山白虹)」を取り上げておられました。以下は要約です。

★ニコよ!青い木賊をまだ採るのか(横山白虹)

これは白虹氏が幼かった谷子氏を句会に連れて行ったときの句。

白虹氏は木賊の緑色を「青い」と言う。それが頭の「ニコよ!」の感嘆符のせいで、木賊の「青」も一段落と強まり、草と人間の子、木賊とニコのエネルギーが伯仲する。

ニコよ!の呼びかけで開くこの句のめくるめく幸福感。白虹氏という父は、大きな樫のような木が「わが子よ、育て、育て」と慈愛の枝を広げて緑の樹光を降り注ぐように思えた。

〇「横山白虹は一つの風景」(島村正。「宇宙」主宰)。以下要約。

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横山白虹といえば、第一句集『海堡』(昭和13/6 沙羅書店)があり、代表作に、

★ラガー等のそのかちうたのみじかけれ
★雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり

が脳裡をよぎる。特に〈雪霏々〉の一句は『海堡』の“序” にて、誓子が絶讃した。

〈僕はこの作家の《雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり》を近年に於ける傑作の一つに数えてゐる。この作品には白虹君の志向してゐる詩性が、瑞々しく、しかも的確に描かれてゐるからである。白虹作品は溶けてしまはないで、結晶をはつきり保つてゐる雪片である。〉

山口誓子の「横山白虹と僕」には、

〈横山白虹は、それ自身一つの風景である。〉
〈僕は高等学校時代の横山健夫を知ってゐる。彼は一高陸上部の選手として、僕は三高応援団の一員として。大正九年の夏、京都の植物園のグランド。その日は朝からの雨で走路(トラック)はところどころ水浸りになつてゐた。横山健夫は短距離の選手だつた。彼は雨に濡れながら、水溜りをはね散らかして走つてゐた。恐ろしく悲壮な顔をしてゐた。僕はなぜかその時の彼を忘れることが出来ない。〉

とある。また、島村さん自身は、

〈「一つの風景」として、印象に残っているのが、横山白虹が歌舞伎の女形に扮した写真は、実に粋であったことを記憶している。と同時に、小倉球場のスタンドで撮影の写真も亦、実にダンディーで、正に一つの風景であった。〉

と書き、北九州の香炉台公園にある「友情句碑」を紹介してくれていました。

★雪霏々と舷梯のぼる眸ぬれたり 白虹
★七月の青嶺まぢかく溶鉱炉 誓子
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※『俳句界』4月号「特集 横山白虹」を終わります。