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与子規さんから恒例のご寄稿をいただきました。
今日は角川春樹さんです。
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「すえよしブログ」読者の皆様ご機嫌如何でしょうか?

もうすっかり慣れた異常気象のお蔭で庭に厚く積もっていた雪もあらかた融けてしまいました。庭を歩いて見ると俳句で言うところの『春泥』状態になっていました。

✏さて今回は角川春樹氏に俳句とは何かを学んで見たいと思います。冒頭から泣き言を言うようで恐縮ですが今回の俳人に角川春樹氏を選択したことをとても後悔しています。

と言うのもプロヒールからも分かるように角川氏の生い立ち、エピソード、業績は通常の領域からは掛け離れているからです。そんな角川氏について私如き人間が何かを語る事が出来るだろうかとも思いました。

暫く考えた後私は角川氏の俳句に触れ、ありのままの感想を語るのが一番いい姿勢であると思い直しました。

角川春樹氏(1942年 1月8日生まれ)は実業家、映画監督、映画プロデューサー、俳人、冒険家と言う風に驚く程の肩書きの持主です。
1979年 俳誌『河』の副主宰となり選者の立ち場になったことから急激に俳句への関心を高めることに…。(父親は源義=げんよし=で、『河』の創始者で角川書店の創立者。さらに『蛇笏賞』.『迢空賞』の創立者でもあります。俳句、短歌の発展に大きく貢献したと言えるのではないでしょうか。)

1981年 第一句集『カエサルの地』を出版。
1982年 第ニ句集『信長の首』を出版。
1990年 『花咲爺』で第24回蛇笏賞。
2006年 『河』の主宰となります。

✏それでは角川春樹氏の作品を見て行きましょう。

🔹 立春の闇やはらかし鬼の國
🔹 世阿弥来て櫻の下の骨掘るや
🔹 櫻湯やとろりと眠き寺廂
🔹しばらくは落花を急ぐ夢のあと
🔹 向日葵や信長の首斬り落とす
🔹 繭玉や山の木霊が戸を叩く
🔹 鰤起しあまたの鬼の狂ひ出す
🔹 隠國(こもりく)にいま火祭の時雨かな
🔹 鳥葬の人肉きざむ秋の山
🔹 夢殿や彼の夜の月のありどころ

如何でしょうか?独特の世界観に満ち溢れた作品ばかりではないでしょうか。闇の中から何か得体の知れないものが迫って来る様な....。この中から

🌏向日葵や信長の首斬り落とす

この作品を私の独断と偏見で斬って見たいと思います。

日本人なら大抵の方は「本能寺の変」のことは歴史で学ばれていると思います。しかしその内側に秘められている真実は謎とされています。

何故光秀は主君を殺害したのでしょう。この史実を確認する為に明智光秀の末裔に当たる方がこの謎に挑んだそうです。それに依ると信長は家康の存在が気にかかっていたようで、それをいち早く察知した家康は光秀を味方にしたと言う訳です。
この句の『向日葵』とは何のことを指すのでしょう。それ如何で句意が大きく変わる様な気がします。

信長は時の権力者、それに対して向日葵は【正義】或いは【反対勢力】と捉えてもいいかも知れません。
もう一つの私の解釈は、逞しく生きる命の象徴としての向日葵と無惨にも斬り落とされた信長の命との対比を捉えている、と言う見方です。

最後までお読み頂きありがとうございました。

次回は 森澄雄氏に学びたいと思います。

与子規

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以上、与子規さんのご投稿でした。
またえらい句を取り上げられたものです。この句の解釈は結構難しいと思います。
確かに与子規さんが仰る通り「向日葵」という季語に詠み手(春樹さん)は何を語らせたかったのか、また読み手はどのように考えるか。
また「信長の首斬り落とす
」という激しい措辞をどういう意味で春樹さんは使われたのか、また読み手がどう解釈するか…。比喩なのか、違うのか…。
与子規さん、詳細を頼みましたよ。私は今回は春樹さんまで手と時間が回りそうにありません。

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永久の会(代表=永田桃花先生)春の俳句展示会」(佐世保郵便局本局ロビー)13.
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戦後の佐世保において、米兵と日本女性との間に生まれ、取り残された、あるいは不遇の中にあった子どもたちを育てられた、佐世保のマザーテレサ、光冨さんの句です。

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↓長崎県全俳人合同句集より。

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田中裕明・森賀まり著「癒しの一句」より。2/15。
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🌏二月はや天に影してねこやなぎ(百合山羽公=ゆりやまうこう)

<「癒しの一句」の解説>
やなぎには柳と楊があり、柳は風が吹くと長い枝が揺れるしだれやなぎをいい、楊は川辺に多く枝の垂れないものをいう。「ねこやなぎ」は楊。春の浅い頃、はより先につやつやした毛の花穂をつけるが、そのやわらかそうなようすが猫を思わせることからそう呼ばれる。

 作者百合山羽公は、明治37(1904)年浜松市生まれ。当初「ホトトギス」に学んだが、水原秋桜子に従い同誌を離れた。掲出句は句集『故園』所収。

 春の訪れは水辺が早い。下萌の緑はいち早く川辺を覆う。空気は冷たくても、水音や日射しに春がやってきているのだ。「天に影して」という表現から、天を仰いで早春を眩しんでいる作者の姿が感じられる。天という大きさの前で猫柳の金の産毛はすこやかに輝いているのだろう。(「癒しの一句」より)

※明日(2/16)の「癒しの一句」は、

★花あれば西行の日とおもふべし(角川源義)

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