教育格差ってずっと言われているし、
コロナ禍でも格差が広がったといわれているけど、、、
実感ってないですよね。。。
何故なら、、、、、、
コミュニティによるマジョリティで社会が成り立っているから
とでもいいましょうか。
例えば、
インドのカーストもインドに住んでいればそれが当たり前
でも、世界的に見ればおかしいとなるわけです。
日本で考えてみても、
地方と都会では教育格差があっても、
地方に住んでいれば現状が当たり前
でも、都会に住んでいると地方の子どもが機会がすくないとなります。
親も都会の方がチャンスがあると思っていてもマジョリティにより行動には移さないわけです。
これは、親と子どもの所属するコミュニティにも起因してきます。
教育感度の高い親がいるコミュニティだと、習い事や小学校、中学校受験の話になりますが、
教育感度の低い親がいるコミュニティだと、そういう話にはなりません。
これが教育によりマジョリティによる格差であると。
しかし、子どもが住んでいる地域や親のコミュニティによって起こる格差問題に巻き込まれるのは
別問題ではないかと思っています。
何故なら、、、、、、
コミュニティによるマジョリティにより、格差教育を受けてきたわけなのですが、
大人になると「自己責任」になってしまうからです。
さて、この問題はなかなか解決が難しいと思います。
「マジョリティ」、「当たり前」の概念を覆すことは、抜本的な改革(政府)が必要なのでしょう。
ある高校生が定義していなのが、
教育格差でなく、「教育分断」ではないか?
との仮説。
そうすると、我々のような民間企業も手の打ちようがある気がする!!
勇気をもらった。