真っ白な灰になるために

真っ白な灰になるために

矢吹丈の如く燃え尽きる

2014年に入社してからあと少しで10年間が経とうとしている

 

これまでも大してブログを書いたり、自分の考えをまとめてこなかった反動はいま大きく自分に返ってきているのですが、節目の年として、リハビリがてら何を感じ、何を考えているのかを文字に起こしておこうと思います。

初心にかえり、あえて、このブログに筆をとることにしました。

 

考えもまとまっていないので、拙筆になると思いますが、ご容赦ください。

 

---- この10年間で成長できたか? ----

 

義務教育よりも長い時間を1つの会社で過ごすとは正直思っていなかったですが、充実した社会人生活を送れたと思います。

 

子供からの夢だったゲームプロデューサーになりたい、という想いだけで、今の会社への入社を決めて、結果はどうあれ、事実、挑戦することはできた。

(そしていま大きな壁にぶつかっている訳ですが)

 

ここまで過ごしてきて、果たして、自分は本当にこの先もゲームプロデューサーというキャリアに、人生をかけて挑戦することができるのか。という疑問があります。

 

客観的な事実として、

過去にプロデューサーとして大きな投資を受けて事業を失敗していること

本来、努力しなければいけないインプットを怠っていること

(※ここでいうインプットはゲーム開発に必要な「感動や良し悪しの言語化」だったり、「進化していく技術の習得」だったり。)

環境や職種など何かしらを言い訳にして、目の前の仕事に全力をかけるモチベーションを落としていた時期もあった

 

非常にダサい

 

---- お前は一体何になりたいのか? ----

 

「作品をつくりたい」「自分の世界観をつくりたい」という炎はそもそもなかったのか、と思うくらい自分の心にはかすかな灯(ともしび)すら見えない。

 

もともと誰に笑われてもいい。他人がどう言おうと気にしない。そういう性格でした。(実際にこの夢は笑われていたが)

なので、外部環境のせいで消えたわけではないと思います。

 

自分のせいなのか、炎なきいま、指針となるログポースが心のどこにもなく、闇の中をさまよっている感覚が強いです。

これはいま振り返ると、一度失敗してしまってからずっと心の片隅に小さな闇が訪れ、徐々に蝕み大きくなっていったのかな、と。

 

---- で、なにやりたいの? ----

 

他人にこの言葉を聞かれたときに、口から出てくるのは「事業責任者」という言葉です。

これはふいに忘年会で役員と話していて、自分の口から出てきた言葉なので、出まかせではなく、本当にそう思っています。

 

ただ、これは、過去の自分にはなかった言葉で、「ゲームプロデューサー」の置き換えなんだと思います。

 

非常にダサいですね

 

ここで、仮に、もしいま、「〇〇事業の責任者をやりたいか?」という質問に置き換えて、自分の炎と対話してみたいと思います。

 

---- 採用人事の責任者をやりたいか? ----

 

NO

 

これまでの自分の性格や、好きだったことを振り返ると、たしかに「人の夢を応援すること」というキーフレーズが出てきます。

 

・サッカー部の応援団長

・チアリーダー

・パレードダンサー

・学生や後輩との対話(特に育成にかかわる

 

共感すれば、人の夢を応援したいのは事実だし、だからこそ、今の会社が描く共同幻想(ビジョン)に全力をかけられるのだと思います。

 

でも、採用のために、自分の人生をかけた挑戦をしたいとは正直まったく思えないのです。(あくまで個人の感想です)

 

会社経営において、採用が事業戦略を達成するうえで、非常に大事なファクターであることはよく理解しているつもりです。

実際に、自分のプロダクトを開発するときにも、優秀なメンバーを採用するという手段でなんとか完成までもっていけました。

 

ただ、採用だけにすべてをかけるのは、個人のモチベーション的に本当にキツいし、残りのキャリアをここに費やすほど、お人よしにはなれないっす。すみません。

あと、どこまでいってもプロダクトが関わっていないのがキツい。

 

自分の会社を大きくするために、人材を育成することに時間を惜しみなく使うこと自体はプラスなので、「採用」よりは「育成」に向いているのだと思います。

 

---- アライアンス事業の責任者をやりたいか? ----

 

(ほんのちょっとだけ)YES

 

アライアンスをおもしろいと思っているのは、動く金額や成功した時のリターンを思うとワクワクすることが大きい。

 

相対する大きな企業や市場のことを考えると、胸が躍るというか、競馬でいうと、誰も気づいていないセンの良さそうなoddsの高い穴馬を見つけたときの心の躍動感があった。

 

ただし、自分(及び、自分たち)の作品ではない場合、正直あんまり嬉しくなかったっすね。

 

理由は、おそらくどこまでいっても「してあげている」という感情が強かったんだと思います。

 

先ほども書いたけど、お人よしじゃないんだと思う。僕。

うちの子 よその子」じゃないけど、愛情を注げるのはうちの子だけだったのです。

 

あと、アライアンスの仕事で成果が出るのは、話を進めて契約を締結してから何年も後に出てくるなんてことは、ざらです。

(しかも締結するまでも、何段階もTermSheetとか面倒極まりない確認のための確認を法務に通すことになる。もうあんな長い英文の契約書読みたくない。)

 

成果をだしたときには、おれがやった、ありがとう。なんて思っている人はきっと誰もいないでしょう。器が小さいかもしれないですが、それはそれで腹立たしい。

(完全なブーメランで、これまで自分は案件をとってきてくれた人に感謝したことないな、と気づいた。すみません。)

 

---- 海外事業の責任者をやりたいか? ----

 

(割と)YES

 

海外での挑戦は正直ワクワクする。

 

これは日本国内のエンタメコンテンツ産業のレベルの高さや、飽和しているアプリゲーム業界の限界を感じている結果です。

 

いまから正面きって大手ソフトメーカーたちや、大ヒットしているアプリタイトルたちと日本国内で闘おうと思っても、時間もお金も莫大にかかってしまいます。

 

それがやりたいのか?と聞かれると答えはNOになるけど、まだこれから可能性のある海外市場で大ヒットを目指すのは、日本市場への挑戦よりも「何かワンチャンスあるんじゃないか?!」と期待してしまいます。

 

あと、ターゲットユーザーや文化が全く異なるので、その知らない、闇の中でもがく感じは自分の性分とあっていました。

 

なんだよ、独身の日セールってw

とか、

正月って1月1日~じゃないの?旧正月ってなにw

とか、

 

未知への挑戦は、不安も大きいですが、ビジネスで生きている実感も大きかったなぁ、と振り返ります。

 

---- 金融事業やVCの責任者をやりたいか? ----

 

NO

 

自分の弱みであり、どこまでいっても苦手意識のあるものが数字です。

 

イメージが足りてないのも問題だけど、この領域は「数字だけ」とか、どうしてもそういうイメージがある。

 

アライアンスも、なんとなく「書面だけ」とか、「契約だけ」とか、そういうイメージが拭えなかったので、好きになれなかった。

 

そういう意味では、消去法的になるかもしれないけど、「コンテンツサービス」「自社オリジナル製品」とかは自分の中で軸にしているのでしょう。

 

競馬を長く続けられたのは、前走上がり3Fの脚質データやoddsの馬券妙味などの部分ではなく、その背景にある血統、厩舎、ジョッキーなどのコンテクストやストーリーのおかげだと思います。

きっと、金融業界やVCも同じくストーリーが大事なんでしょうけど、苦手意識だけは何年経っても拭えず、手をだせない。

 

これもダサいんだけど、本当に向いてないんだと思う。

 

---- では、ゲーム事業の責任者をやりたいか? ----

 

これまでの自分の炎との対話を通して、まとめてみると以下のような結果になります。


「人」「数字」「契約」とか書面や記号だけで、直接的に製品に関わってないものにワクワクできない

「自社プロダクト」や「自分の会社」で勝ちたいという炎は残っている

挑戦するなら日本国内ではなく、海外市場

コンテクストやストーリーのあるコンテンツサービスで挑戦がしたい

もともと幼少期からゲームプロデューサーになることが夢。笑われてもいい。

 

つまり、これだけ見ると、「海外に向けた自社コンテンツサービス」の事業責任者であればやってみたいという炎が残っていることになります。

言い換えると、海外向けのゲームプロデューサーにチャレンジしたいということです。

 

炎はあるのに、努力ができてないのであれば、ただの言い訳なので、しばらくの間、目指すべき目標が出来上がりました。

 

この目標を達成するための方法を次は考えないといけないですが、まずは、自分の心に炎が残っていることがわかって正直ホッとしました。

(心のログポースは本当に大事)

 

---- おわりに ----

 

あれだけ入社時に「自分の言葉を磨け」「発信をしろ」と言われ続けて、その有用性に気付くのが10年目というのが、なんとも自分らしいというか、劣等生らしい。

 

自分の強みは、劣等感や無知であることを恥ずかしがったり、変なプライドを持っていないことなので、ここからもう一度新しいスタートが切れるようにがんばりたいと思います。

 

11年目、ダサい自分はもうおわり。