『日本の遺跡』旧石器時代、(全298回)43、神子柴遺跡(みこしばいせき)

長野県上伊那(かみいな)郡南箕輪(みなみみのわ)村神子柴にある旧石器時代末期の遺跡。1958年(昭和33)藤沢宗平(そうへい)、林茂樹(しげき)が調査。槍先(やりさき)形尖頭器(せんとうき)16、刃器(じんき)状石器12、掻器(そうき)形石器3、石核7、原石4、自然石1の計43の遺物が、長径5メートル、短径3メートルの範囲からまとまって出土した。石器は、定型的で秀逸な完形品が規則的に集積、配列されていたため注目を集めた。遺物の出土地点では、肉眼的には遺構が確認されていない。遺物の出土状態の特異性から、住居説、墳墓説、デポ(埋納施設)説などの解釈がなされたが、八群の細別分布を認めて交易関係の品物であるとの考説が成立するという。石質は閃緑岩(せんりょくがん)、黒曜(こくよう)石、頁(けつ)岩などを用いているが、石器の特性に応じた選定をみる。[麻生 優]