『日本の遺跡』旧石器時代、7、荒屋遺跡は、新潟県長岡市(旧川口町)の上越線・越後川口駅から南へ約1キロに位置する。信濃川と魚野川が合流する河岸段丘上にある。これまでに4回の発掘調査が実施された。発掘面積は遺跡範囲500㎡のうちの108㎡になる。平成16年2月27日に国史跡に指定され、保護されている。出土資料は、明治大学(第1次調査)、東北大学(第2・3次調査)、長岡市教育委員会(第4次調査)、東京国立博物館(星野芳郎コレクション)に所蔵される。 1957年秋に、星野芳郎と井口通泰が荒屋から採取した数点の石器を芹沢長介に提示し、意見を求めた。芹沢は、細石刃文化であることは明らかであり、さらに長野県矢出川遺跡とは異なる性格をもつと予想し、翌1958年に発掘調査を実施した。この調査で多数出土した彫刻刀形石器は、芹沢によって「荒屋型彫刻刀」と命名され、東北日本に分布するだけでなく、サハリンからシベリア、そしてアラスカまでの広大な地域に広がることが確認された。このように人類の拡散や日本人の由来を考える上でも重要な遺跡である。荒屋遺跡では、竪穴住居状遺構1基と土坑23基が検出された。遺構は重複し、多量の焼土や炭化物を含む堆積土であった。炭化物には、キハダなどの木片やオニグルミなどの種子であり、14C年代で約14000BP(17250年前)の測定結果であった。

 出土石器は、細石刃が6000点、彫刻刀形石器が1000点、彫刻刀スポールが9000点を 超え、総数10万点にのぼる。細石刃は湧別技法とホロカ技法で製作される。使用石材は東北地方日本海側産の珪質頁岩(硬質頁岩)である。石器の機能研究によって、骨角器や皮製品の製作が盛んに行われたと推定され、二次加工のある細石刃を着柄した骨格製槍先の製作も予想された。このように、荒屋遺跡は、様々な活動が繰り返された中核的な活動場所であった。