『歴史古代豆知識』112・大内裏(だいだいり)宮城のことで,内裏 (皇居) を中心として諸官省を配置した。唐の制にならい,すでに皇極天皇の飛鳥宮に大内裏があったと推定され,平城京,平安京で完備した。規模は,平城宮で四方8町 (約 698m) ,平安宮東西8町,南北 10町 (約 736m) 。平安大内裏は四囲に垣をめぐらし,東西面におのおの4門,南北面におのおの3門設けた。南面の正門が朱雀 (すざく) 門である。その内部には,正殿である大極殿を含む八省院や豊楽 (ぶらく) 院,皇居である内裏,太政,神祇の2官,八省以下の諸官省があった。安貞1 (1227) 年炎上後は再興されず,建武の頃 (1330年代) ,後醍醐天皇が再興を企てたが,実現されなかった。内野 (京都市上京区の西郊の地) と呼ばれた野原が大内裏跡である